在宅勤務で家に「8 or nine hours」いて「two feet」先の欠点が気になり、home decorに関心が移ったコンテンツライターの話です。
「a couple of years ago」に、今の自分が何を書いているかを聞かれたら。たぶん、書籍とか、writingとか、その週にみんなが言い合っているAIツールのことだろう、と答えたと思う。home decor? それはない。少なくとも当時は、そう思っていました。
生計は言葉で立てている。content writerとして、ブラウザはGoogle Docs、調べ物のタブ、半端な下書き、そして「開きすぎでは?」とPCに心配されそうな数のウィンドウで埋まる。こういう散らかり方は、嫌いじゃない。ぐちゃっとしたアイデアが、読める文章に変わっていく感覚があるから。
だから長い間、創造性は全部そこにあると思っていた。Turns out… I was wrong. まあ、そういうやつです。
在宅勤務で「家」が逃げ場じゃなくなる
在宅勤務は、空間との距離感を変えます。家に帰ってきて、片付けるつもりの角を何週間も見て見ぬふりするのは簡単。でも、そこから「8 or nine hours」離れられず、しかも「two feet」先にあるとなると、話が違う。
見える。全部。急に。
病院の廊下みたいな照明。座っていて微妙にしんどい椅子。空っぽの壁が、なぜか部屋全体を妙に落ち着かない感じにする。そういうのって、以前は気にしてなかったのに、ある日を境に無視できなくなる。The Shawshank RedemptionのAndyでさえ、刑務所にポスターを貼ってたじゃないか、みたいな。そこまで言う? と思いつつ、でも、気になるものは気になる。
ただ、最初から「飾ろう」としていたわけではありません。At first, I wasn't trying to decorate. したかったのは、作業する場所がもう少し「マシ」に感じられること。それだけ。
まず机を直した。机は上の階のstore-roomに置かれていて、すぐ手を入れる必要があった。そこから、store-room自体をstudy/office spaceに変えていった。照明を変えた。棚を置いて、整理した。
そして、apparently… ラグに強い意見を持っている人たちがいるらしい。そこで、少しだけ、歯止めが効かなくなった。少しだけ、ね。
「小さな改善」が連鎖して、気づいたら深いところにいた
作業環境を良くするための小さな変更が、次の変更を呼びます。机、照明、棚、整理。ひとつ変えると、隣の「気になり」が浮き上がる。これは、文章の推敲にも似ている。直した箇所のせいで、別の粗が見える、みたいな。
Pinterestが、いつの間にかよく見るサイトになった。room makeoversの動画も見た。前はwriting系の動画を見ていたのに、同じテンションで模様替えを見ている。自分で言うのも変だけど、習慣って簡単にスライドする。
色(color)、配置(layout)、照明(lighting)、収納(storage)。そのへんの言葉が、頭の中でふつうに回り始める。細部が、部屋を「落ち着く」側にも「混沌」側にも連れていく、という感覚がある。いや、感覚というより、観察に近い。
一番おかしかったのは、The funniest part was… 自分が人の家でランプを評価している側になっていたこと。鏡を見て「この鏡、部屋をtwice as bigに見せてる」とか、心の中で言ってしまう。口には出さない。たぶん。いや、出してない、はず。
で、ほぼrabbit holeの底みたいなところまで行ってから、ようやく理解する。「あ、これ、新しい興味だ」。そして、話したくなる。そういう流れ。
高価じゃない空間が、いちばん面白いことがある
刺激的な空間が、必ずしも高価な空間とは限りません。tiny apartmentsやrental homes、家族の家みたいな、現実的な予算の制約がある場所で工夫している人たちがいる。完璧を追っているというより、手元にあるものを最大限に使っている。そこが良い。
「お金をかければ正解」じゃない、という話でもあるし、「制約があるほうがアイデアが出る」みたいな話でもある。…あ、でも、これは断定というより、そう見えることが多い、くらいの温度感で。
そして、あの少し大げさな言い回し――personal jury of me and myself――つまり「自分の中の審査員」が、「これは誰かが話したほうがいい」と言い出す。で、その誰かが自分になる。そういう決定って、計画的というより、流れに近い。
書くことと飾ること:別世界に見えて、問いは同じ
装飾は書くことと同様に、「体験を良くする」ための創造行為だと捉えられます。
decorationとwritingは、表面だけ見れば別ジャンル。でも共通点がある。どちらも「足すこと」だけが上手さじゃない。
良い文章は、不要な言葉を削る。良い部屋は、不要な散らかりを減らす。なんというか、削る方向の美学がある。盛るより先に、整える。
それから、良い記事は人に何かを感じさせる。思慮のある部屋も同じ。落ち着く、とか、集中できる、とか、変なストレスが減る、とか。言い方は違っても、結局これ。
「どうすれば、この体験はもっと良くなる?」
この問いが共通しているから、home decorが「急に出てきた別趣味」には感じなかったのかもしれない。自分の中では、同じ創造の延長線にある。
ひとつに絞れ、という考え方もある(たぶん正しい場面も)
ときどき「結局、何を書いているの?」と聞かれる。答えが少し複雑になった。Books。writing。AI。creativity。そこにhome decorも入ってくる。
一つに絞って、それで知られるべきだ、という人もいる。Some people believe… Maybe they're right. そういう戦略が強い世界は確かにある。ここは否定しない。
ただ、自分は小説家としてゼロから架空の世界を発明するタイプではなく、content writerとして、好奇心の向く先を追う仕事をしてきた。好奇心は、カテゴリーの壁にあまり従わない。これはもう、性質みたいなもの。
The Reader Lifeから、My Budget Spaceへ:好奇心が形になる順番
読書への熱が戻ったときは、The Reader Lifeを作った。読み手とその情熱を共有したかったから。
同じように、手頃な(budget-friendly)装飾アイデアや、周囲の環境が日々の暮らしに与える影響に惹かれていくうちに、別のものが形になり始めた。計画したというより、学ぶのを止められなかった、というほうが近い。
それがMy Budget Spaceです。
My Budget Spaceが扱う範囲(できること/やらないこと)
My Budget Spaceは、実用的で予算重視のhome decorアイデアを扱う場所で、professional designersと、日常の中で工夫している人たちの発想にインスパイアされています。
豪邸の知恵だけが正解じゃない。むしろ「普通の問題を、普通の条件で解く」ほうに、賢いアイデアが転がっていることがある。ここが軸です。派手さより、再現性のほう。たぶん、同じ悩みを持つ人には刺さる。
それと、これは一人の冒険ではない。While you'll definitely hear my voice… 文章の声は出るけれど、裏側にはチームがいる。research、design、editing、brainstorming ideas。いろいろ分担して、協力して進めている。共同作業として回っている、という説明はここでしておきたい。
The Sunday JournalとMedium、そして「たまに」増える話題
The Reader Lifeは継続し、The Sunday Journalでもevery now and thenホームデコについて触れる、という方針です。
もし本の話を読みに来ていたなら、The Reader Lifeはどこかへ消えない。writingやAI、そして創造性についての、ときどきの雑談が目的なら、The Sunday Journalもそのまま。違いがあるとすれば、home decorの話が「たまに」混ざること。頻度は限定的、という感覚で。
Mediumに残りたい人は、それでいい。そこに無理はない。ここでも、decorating storiesやpractical tips、途中で拾ったlessonを共有することはある。そういう整理。
結局、創造性は「キーボードから顔を上げる」瞬間に入ってくる
好奇心に従って動くと、きれいに一箱に収まらないことがある。でも、それが悪いとは限らない。むしろ、続くことがある。続けられる、というだけで価値が出る場面もある。
Who knows、次に何にハマるかは分からない。Hopefully、Pinterestのボードをあまり増やさないやつがいい。そこは切実。
この予想外の趣味が教えたのは、creativityは、こちらが構えているときより、油断しているときに来ることがある、ということ。Sometimes、キーボードから顔を上げて、目の前の空間を見る。それだけで、章が変わる。
