パキスタン住宅選びの違いとイード時期引っ越しの注意点を体験から紹介

パキスタンの住まい選び・イード引っ越しで後悔しない実践ポイント

  1. 引っ越し予定日の2週間前までにバン業者の口コミを3件以上チェックしよう。

    信頼できる業者を選べば、当日のトラブルや荷物破損リスクが下がる(新居到着時に破損ゼロを確認)。

  2. イード祭りの前後3日間は引っ越し作業を避けてスケジュールを立てよう。

    主要道路が混雑しやすく作業遅延が起きやすいから、引っ越しが半日以上伸びなければ効果あり(搬入所要時間で検証)。

  3. 南向き・パーク向きの家から優先的に5件内見してみて。

    日当たりや風通しが良く、電気代も毎月約10%減らせる可能性が高い(1カ月後の光熱費で比較)。

  4. 在宅ワークを考えるなら、1日3回以上停電が発生した旧宅の条件は避けて選ぼう。

    作業中断やストレス軽減に直結するので、引っ越し1週間後も仕事効率が落ちないか実感できる(1週間の業務達成度で判定)。

  5. ペットや家庭菜園があるなら、50平米以上の庭つき物件で新生活を始めてみて!

    家族のリラックス度や趣味時間が増え、1カ月後の満足度アンケートで7割以上が「満足」と回答できる(家族アンケートで確認)。

海外の引っ越し計画からパキスタン生活で感じた違いとは

多くの先進国、特に英国や米国に暮らす人々の計画的な生活ぶりには、いつも感心せざるを得ない。とはいえ、このパキスタンでは、そうした行動が一般的とはまだ言い切れず、多くの人々には依然として課題となっているのだろうね。自分なりに早め早めに物事を組み立てようとしてはいるけれど、直近で引っ越しをする羽目になり、それがよりによってビッグ・イード(Eid ul Adha)の目前という時期だったものだから、バンマンや段ボール箱なども簡単には手に入らなかった。ま、いいか。

## イードのお祝い

イードという行事は、イスラム教最大級の祝祭であり、多くのお店や会社はイード前から営業を休止し、一週間以上再開しないことも少なくない。この雰囲気はきっと容易に想像できると思う。ムスリムたちは年に2度イードを迎える。一つ目は「小さなイード(Eid ul Fitr)」で、これは神聖なラマダーン月の終わりとともに祝われる。そしてもう一つが「大きなイード(Eid ul Adha)」で、小さなイードのおよそ2ヶ月半後にあたり、この時季には毎年ハッジ(イスラム巡礼)が行われる。

イード祭シーズン中に引っ越す時の注意点を押さえよう

ビッグイード(Big Eid)では、特定の動物を捧げ、その肉を親族や友人だけでなく、貧しい人たちと分け合い、自分たちもきちんと残すことになっている。そうした背景もあり、祭りの間は家々の間でたくさんの肉がやり取りされるし、バーベキューに呼ばれたり、「チャプリカバブ」や「ティッカ」、「カラヒ」、それから「ビリヤニ」といったさまざまな肉料理が何日も続けて食卓に並ぶ日々となる。気付けば、ごく普通の毎日に戻るまでに二週間近くかかることさえ珍しくない。それもまた、この時期ならではなのだろう。

## 引越しの決断

この引越しは正直言って相当大変で、これまで体験したどんな引越しよりも堪えたような気がする。ま、いいか。きっと流れとしてこうなるものだったのかな、と今は少し思っている。住居を移すことで、自分自身Mediumなど普段続けていたものから気付けば二十日以上離れてしまった。本来は手順通り進めれば三〜五日ほどで終わるらしい。でも広くて環境が良い新しい場所――庭があって立地にも満足できる家――をずっと前から探していた経緯があった。イスラマバードだと、大抵の住宅はローワルピンディ(これは南西側に隣接する都市)方面を向いて建てられていることが多かったり、お気に入りでもある美しいマルガラヒルズ(こちらは北側)の景観を意識した配置になっていたりする。

## イスラマバードの都市計画

イスラマバードという街そのもの、西洋出身の建築家によって綿密に計画されたところなので、市街エリア全体もグリッド型で整理されている感じだ。

イード祭シーズン中に引っ越す時の注意点を押さえよう

イスラマバードの街並みや人気セクターを見極めて住まい選び

イスラマバードという都市は、セクターごと、さらにサブセクターに区分されている。各セクターはだいたい2,000×2,000メートルの大きさだね。たとえばF-6とかF-7、F-8やF-9などが存在し、それぞれには四つのサブセクター(例:F-6/1、F-6/2、F-6/3、F-6/4)が割り当てられている形だ。人気が高いエリアを挙げるとE、そしてF・Gの各セクター。それに続くのがHおよびIであり、そのIセクターが最後の番号となっている感じ。【実際にはAやB、それからCについては完全な整備まで至っていない部分も残る】。ただしD セクターでは近年になって宅地開発が進行してきたところも見かける。一息ついて――もしGoogleでイスラマバード全体の地図を検索したなら、この場所で誰かの住所を探す時の容易さがおそらく肌感覚でも掴めるんじゃないかな。一部では住宅そのものが二つ以上の通りに面して建築されている場合もあるみたい。ま、いいか。

南向き・パーク向き住宅のメリットと電気代対策を検討しよう

向かい合う両側のうち、現地では「Tarnol face」と呼ばれる面があり、これはイスラマバードの北西側にある隣接都市Tarnolから名付けられています。もう一方は「Park face」と呼ばれていて、東方向にあって(多くのセクターで見られ)、F-9 Park(Fatima Jinnah parkとも呼ばれ、その名のとおりF-9セクター全体を覆っています)に面しています。これらの場所は特に5月から9月にかけてかなり気温が高くなりますね。両サイドとも昼間じゅう強い日差しが直撃するため、このような環境になるわけです。その結果として、もし予算や健康上問題がなければすべての部屋でエアコンを稼働させる必要があります(ちなみに自分の場合は2~3時間も冷房下だと関節痛になりやすいため長居できません)。当然、その分だけ毎月の電気代が家賃より高くつきやすい傾向も見られます。

## 以前住んでいた家について
私たちの古い住まいも「Park face」タイプでした。しかし停電やストリートトランスフォーマー故障などで電力供給が止まると、とりわけ5時間もの長引く場合には身も溶けそうな暑さを感じたものです。ネット接続やノートPCへの充電が仕事には欠かせず、その影響も実感していました。ありがたいことにAllahのお陰で経済的困難はありませんでしたが、ごく最近になって仕事上の遅延そのものを少し煩わしく感じる場面が増えてきました。まあ、自分自身が神経質になっただけなのかもしれません。それで、新しい住まい探しを2年ほど続けている状況ですが、どこにも必ず何かひっかかる点は残りますね…ま、いいか。

南向き・パーク向き住宅のメリットと電気代対策を検討しよう

停電や暑さで困った旧宅、在宅ワークへ与える影響を考える

何はさておき、やっぱり以前住んでいた家を離れることは、特に自分にはかなりしんどい出来事だった。というのも、その場所には今もなお、私の人生で一番大切で、ヒーローみたいだった父との最後の日々が色濃く刻まれているからだろう。ま、いいか。父が亡くなる前、家のどこにいてもその存在を強く感じていたので、それがなくなることが正直とても怖かったという思いがあった。居間の窓辺の古びたソファチェアに父が座り、小さなノートパソコンで黙々と仕事をしていた姿や、ときどき部屋に入ってきてちょっと質問したり、ドア口に立って2分ほど何気なく佇んだりする様子…。リビングの窓際で私が帰宅を待ち構えていて、父が遠くから歩いて来る姿を見るとすぐ門を開けて迎え入れたり──暑い日でも寒い日でも、本当に10秒も外では待たせないようにしていた記憶はいまだ鮮やかだ。なお、父は心臓疾患を抱えており、この世を去るまでの約10年もの間、万全な健康状態ではなかった。

家族の思い出とともに住み慣れた家を手放す葛藤に寄り添う

あなたは自分の強さを疑わないかもしれません。けれど、人生には不意に現れる悲劇があって、自覚しないまま内に潜む脆弱さや揺らぎをもたらすこともあります。父が人生からいなくなった経験によって、自分の弱さと向き合うことになったと、改めて感じました。ま、いいか。

## 新しい家

私たちは地元新聞に掲載されたこの家の広告を見つけて、早速見学を申し込みました。その日の午後という急な日程でしたが、「少なくとも後悔はしないだろう」といった程度で現地へ足を運んだのです。「おそらく気に入らないよ」と考えながら、とりあえず確かめてみたかっただけかもしれません。

新しい家は築30年近く経っており、それまで暮らしていた7~8年目のまだ新しい住まいとはかなり趣が違います。流行りの最新デザインではありません。でも例えば、3つも設置されている暖炉や、広々した昔ながらの大きな台所―そこでは家族全員が集まり一緒に料理し食卓を囲むのでしょう―そんな空間には思わず嬉しくなりましたね。最近よくある手狭なミニキッチンや収納不足・電化製品スペース難民になるような作りとは雲泥の差です。

今では共働き世帯が増えていますが、昔は「お父さん」が一家の収入源でした。その影響で、現代家庭では外食やテイクアウトばかりで、自宅で丁寧に料理する香りが部屋中漂う機会そのものも減っています。一瞬過去への郷愁すら覚えます。

それだけではありません。この家には天井高い部屋(これがお気に入りなんです)と広々とした庭があります。庭にはマンゴーやイチジク、ロークワット、それから正式名称を思い出せない甘い「グリーンオレンジ」、ザクロやレモンなど果樹が豊富。ブドウ棚もあれば、大切なカレーリーフの木も茂っています。それだけでなく大量のミント、薔薇やジャスミンまで咲いていますよ。

自分でもコリアンダーやフェヌグリークの種を蒔いて育て始めました。ハーブ好きなので、このあとトマトや青唐辛子・ニンニク・ピーマンなども挑戦してみる予定です。

本当に楽園みたいじゃない?

家族の思い出とともに住み慣れた家を手放す葛藤に寄り添う

理想的な間取りや庭付き一軒家への引っ越しが暮らしに与える変化

Bambieには、この場所がなんともぴったりだった。いや、私たちの大事なアメリカン鶏だもの。というのも、それまで家で見てきた普通の鶏とは行動がぜんぜん違っていたから、「アメリカン」と呼び分けるしかなかったんだよね。まあ、いずれは彼女にも大勢の仲間が加わる予定。以前住んでいた家ではスペースに余裕もなく、そもそも鶏を快適に育てられる環境じゃなかった。

## 引越し

私たちは間髪入れず申し込み手続きをして、すぐさま入居OKの連絡を受け取った。選択肢はふたつ。一つはバン運転手を依頼し、6月6日のビッグイード前に素早く引っ越してしまう方法。そしてもう一方は、2~3週間ほど待機してイード連休明けを狙うこと。新しい家の雰囲気がすごく良くて、広々としたドローイングルームやダイニングルームなら親戚・友人みんな集めてイードディナーにも事欠かない感じだったなぁ。旧宅の大家(父の古い友人)にはすぐ報告し、「あと2日ほどで退去します」とだけ伝えた。本来なら最低1ヶ月前には通知義務があるところだ。でも中にはオーナーさん次第で柔軟に対応してくれる例もちらほらある。その後、とっとと荷造りを始めて、翌朝スムーズに運べるようバン運転手もしっかり押さえておいたよ。ま、いいか。

飼っているペットや家庭菜園も楽しめる新居の活用アイデア

リビングには、エアコン以外の家具や家電がすべて集められた。エアコンだけは、資格を持った電気技師の手でなければ外せなかったので仕方がない。まあ、それだけだった。リビング自体は家の中でもいちばん広く、メインの出口からも数歩で行き来できる位置だったんだ。それにしても荷造り作業はひたすら続いたが、午後2時を過ぎても運転手の姿が見えず、不安に駆られてまた連絡した。やっと電話で話すと「いま隣町ラーワルピンディーで配達中」との返事しかもらえなかった。この状況は正直、腹立たしいというより煩雑きわまりない気分。でも他に選ぶ道なんてなかったし……。結局、運転手が顔を出したのは陽が傾いて空もくすみ始めたころだった。それを拒むこともできず、そのまま受け入れざるを得なくなったわけだ。「ああ仕方ないか」と、小さく息をついた。それこそ、その後次々発生した問題の発端となったわけだよ。

本来、大型家具一式や冷蔵庫・チェスト型フリーザー・二台の洗濯機・食洗機・コンベクションオーブンなど――いわゆる大物家電は午前中に搬出する想定だった。そのあと小型バンをもう一台追加して、スーツケース類とか衣類、それに日用食器や鍋(ちょっとしたレストラン顔負けの量)、ミニ調理家電、それからノートパソコンや書類、一昔前のおもしろ雑貨なんかまで順次詰め込む予定としていた。本来なら夕方までにはおおよその荷物は新居へ運び込めたはず。とはいえ最後まで残ってしまうものについてだけは、これから兄弟所有ヴィンテージビートルでも何度か往復しながら、一週間くらいかけて持ち出すつもりでいたんだ。ま、それくらい準備周到だったと言えるね。

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バン業者選びでトラブル回避、スムーズな荷物運搬計画を立てよう

小さなバンの方が今回の品々にはちょうど良かったみたい。でも、それは壊れやすいものを大切にしたかったから、という理由だけど。正直言うと、元々この流れになる予定じゃなかったんだ。大きな荷物は一気に大型バンで新居まで全部運び出した後、私たちはほとんど動けなくなるくらい疲れてしまい、何かをする気力なんてまるで残っていなかった。そのうえ冷蔵庫と冷凍庫まで全て移してしまっていたことに気づいた時は、本当に頭が真っ白になった感じだった。ただでさえ、外食しようにもレストランは大体ファストフード以外は全部閉じている状態。心底困ってしまったよ。ま、いいか。うちではお茶さえ飲めれば他のことには結構我慢できる方なんだけど、生乳入りでこそ味わえるお茶だからミルク抜きだと結局どうしても納得できない。それくらい、お茶という存在が私たちの日常に深く溶け込んでいるんだね。

夜がどうにか明けて翌朝――実はこの日はイード(Eid)だったんです。初めて親戚たちと写真を撮る経験をする日にも関わらず、イード用の肉が届く前から料理を始めようとも思えないまま朝を迎えていた。ふと見れば古ぼけた衣服しか身につけていないし、大量のパッキング作業や掃除、それからまだ箱詰め状態のものも兄の車へ運ぶ工程が果てしなく続いている。本当は誰か手伝ってくれる人でも現れてほしいところなのに、その日はバン会社もメイドも周りの手助けになる人たち全員使えずじまい。それならせめて明日こそ誰か一人でも働いている人を見つけられればいいな、とひそかに願うしかなかった。その淡い期待だけがイード2日目への支えになった氣配もあった。

イード後の日常復帰と新生活への前向きなリセット方法

けれども、残念ながら次の4日間は誰にも助けてもらえなかったんです。なので、兄弟の車に積める物だけをどうにか運び出しました。ただ、新しい家へは引っ越せず、古い家でかなり最小限な暮らしをする羽目になってしまい、それにはちょっと耐えられませんでした。Big Eid自体は3日続きますが、その初日の5日後、ようやく夕方になってゾンビみたいに新居へと移動できました。ま、いいか。すべてのマットレスは大きな応接間とダイニングに適当に敷いて、家族全員が一部屋で床に寝ることになりました。枕も毛布も見当たらなくて……仕方なく横になるしかなかったです。その後、新しい住まいをふつうの生活水準まで整えるにはさらに1週間くらい要しました。同じ状況になった時は、自分たちだけに頼るより、とりあえず外からの力――信頼できるバンマンみたいな存在――をしっかり確保したほうがいいかな、と今は思っています。でもまあ、こういう厄介ごとは当面起きないんじゃないかなとも感じてます。この先は無理せず過ごしつつ、ゆっくりガーデニングや新しいストーリーを書いたりする毎日が楽しみです。

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