引越しって、なんでこうなるんだろう。
最近、引越しのことばかり考えてて…。いや、もう終わったんだけど。終わったからこそ、なのかな。なんであんなに大変だったんだろうって、ぼんやり反芻してる感じ。
計画的にやるのが得意な人、尊敬する。本当に。イギリスとかアメリカとか…そういう国の人たちって、何ヶ月も前から準備するイメージがあるけど。ここ、パキスタンだと、なかなかそうもいかなくて。
僕自身は、割と前もって計画する方だと…思うんだけど、今回の引越しは本当に突然で。しかも、よりによってイードの大型連休の直前。トラックを運転してくれる人も、段ボール箱も、何もかもが見つからないっていう最悪のタイミングでね。
そもそも「イード」って何?っていう話
そう、イード。イスラム教で一番大きなお祭りのことで、年に2回あるんだ。小さいイードと、大きいイード。今回は大きい方、犠牲祭とも呼ばれる「イード・アル=アドハー」の直前だった。
この時期は、ほとんどのお店や会社がイードの数日前から閉まって、再開するのは…まあ、1週間後くらいかな。だから、生活が通常に戻るまで、下手したら2週間くらいかかる。そんな中で引越しするってことが、どういうことか…想像つくでしょう?
犠牲祭では、動物を屠って、そのお肉を親戚や友人、貧しい人たちと分かち合う。だから、バーベキューとか、チャプリカバブ、ティッカ、カラヒ、ビリヤニ…そういう肉料理が毎日食卓に並ぶ。家族や友人が集まる、お祝いの時期なんだよね。本来は。
でも、僕らは…まあ、その話は後で。
うまくいかなかった、あの引越しの話
まず、結論から言うと、この引越しは…今までで一番疲れた。たぶん、こういう運命だったんだろうけど。普通なら3日から5日で終わるはずの作業に、20日以上かかったんだから。
引越しのきっかけは、もっと広くて、良い場所を探してたこと。庭があって、ロケーションも良くて。イスラマバードでは、家の向きがすごく重要でね。北向きの、美しいマルガラ丘陵が見える家が僕のお気に入りなんだけど。
前の家は、最悪なことに「パークフェイス」って呼ばれる向きだった。これ、東向きみたいなものなんだけど、要するに一日中、家の前から後ろから、直射日光が当たる。夏は地獄。5月から9月は、もう…溶けるかと思うくらい暑い。
だから全部の部屋にエアコンが必要になる。僕みたいにエアコンに長時間当たると関節が痛くなる人間には辛いし、何より…電気代が家賃より高くなるんじゃないかっていうレベル。仕事もね、ネットとPCがないと始まらないから、停電のたびに中断して、それが最近すごくストレスだった。
で、新しい家が見つかった。新聞広告で。内見に行ったら、すごく気に入ってしまって。築30年くらいの古い家なんだけど、それがまた良かった。
新しい家と、前の家。何が違ったか。
じゃあ、何がそんなに良かったのか。前の家と比較してみると、分かりやすいかもしれない。
| 比較ポイント | 前の家(日当たりが良すぎた家) | 新しい家(ちょっと古いけど、好きな家) |
|---|---|---|
| 建築様式 | 築7、8年くらい。モダンだけど…なんか味気ない感じ。 | 築30年。暖炉が3つも!天井も高くて、すごく開放的。こういうのが好き。 |
| キッチン | 最近よくある、小さな対面キッチン。収納も作業スペースも足りない。 | 昔ながらの広いキッチン。家族で料理したり、食事したりできるスペースがある。これだよ、これ。 |
| 日当たり | 良すぎる。というか暑すぎる。夏は本当にサウナ状態だった。 | ちょうどいい。マルガラ丘陵向きだから、きつい西日が入ってこない。快適。 |
| 庭 | なし。まあ、バルコニーはあったけど。 | マンゴー、イチジク、ビワ、レモン…果物の木がたくさん。あとハーブ。ミントとかローズとか。最高じゃない? |
| 思い出 | …父との、最後の思い出がたくさん詰まった場所。 | これから、新しい思い出を作っていく場所。 |
特にキッチンと庭は、もう、天国かと思った。古い家って、家族が一緒に時間を過ごすことを考えて作られてる気がする。新しい家は、夫婦共働きで外食が多い、みたいなライフスタイルに合わせてるから、キッチンがただの「調理場」になってて。新しい家では、コリアンダーとかフェヌグリークも植えたし、これからトマトとかニンニクも育てるつもり。料理の香りが家中に広がるのって、いいよね。
すぐにオファーして、受け入れてもらえた。で、ここで選択肢が二つ。イードの前に急いで引っ越すか、連休が終わる2、3週間後まで待つか。
僕らは…前者を選んだ。それが間違いの始まりだった。
大家さんに「2日後に出ます」って伝えて。本当は1ヶ月前に言うのがルールだけど、父の友人だったから柔軟に対応してくれた。で、梱包を始めて、翌朝に来てくれるはずの運送業者を手配したんだ。
…来なかった。電話したら「ああ、今ラワルピンディで別の仕事してる」。もうね、怒りを通り越して呆れたよ。日本だったら、アート引越センターとかサカイ引越センターとか、時間通りに来て、専門のスタッフが全部やってくれるのが当たり前じゃない?でも、ここでは違う。個人でやってる業者だと、こういうことが普通に起こる。でも、待つしかなかった。
結局、業者が来たのは夜遅く。もうヘトヘトになりながら、冷蔵庫とか洗濯機とか、大きな家具だけを新しい家に運んでもらった。その時点で、僕らはもう限界だった。
そして気づくんだ。冷蔵庫も冷凍庫も、もう新居にあるってことに。レストランはどこも閉まってる。あるのはファストフード店くらい。そして、僕らにとって一番大事な…お茶が飲めない。牛乳がないから。もう、絶望的だった。
でも、一番つらかったのは…別のこと
そんな肉体的な疲労とか、計画の甘さとか…そういうのとは別に、もっと辛いことがあった。
それは、古い家を去ることの、感情的な痛み。特に僕にとっては。あの家には、亡くなった父との最後の思い出が詰まってたから。
父は僕にとって、世界の全てで、ヒーローだった。彼の存在を、あの家ではずっと感じていられた。それを失うのが…心の底から怖かったんだと思う。
リビングの窓際のソファ、彼がいつもラップトップで仕事をしていた場所。僕の部屋のドアの前に立って、何かを尋ねてくる姿。彼が家に近づくのが見えたら、すぐに門を開けられるように窓際で待っていた時間。10秒だって、暑い日も寒い日も、彼を待たせたくなかったから。
父は心臓が悪くて、人生の最後の10年間、ずっと万全じゃなかった。自分は強い人間だと思っていても、こういう悲劇は、自分の中に脆い部分を作り出す。父がいない人生は、僕を弱くした。
だから、荷物を運び出すのは、ただの作業じゃなかった。思い出を一つ一つ剥がしていくような、辛い時間だった。
もし次があるなら、これだけは守る
結局、イードの初日から4日間、何の助けも得られなかった。兄の車で運べるだけの荷物を少しずつ運ぶだけ。古い家でミニマリストみたいな生活をするのも耐えられないし、新しい家に完全に移ることもできない。ゾンビみたいだったよ、本当に。
最終的に新居に落ち着けたのは、イード初日から5日後の夜。床にマットレスを並べて、家族みんなで一つの部屋で寝た。そこから普通の生活に戻るまで、さらに1週間かかった。
だから、もし、もし次に同じような状況になったら…まあ、当分ないと思いたいけど。絶対に、まず最初に「信頼できる運送業者」を確保する。自分の体力とか経験とかを過信する前に、そこだけは確定させる。それが、今回の最大の教訓かな。
正直、引越しはもうこりごり。でも、新しい家の庭でハーブを育てたり、こうやって新しい文章を書いたりする穏やかな日々が、やっと始まった。うん、悪くなかった…と、今は思えるかな。
あなたの引越し体験はどうでしたか?もし良かったら、一番「もうダメだ…」って思った瞬間のこと、教えてください。
