最近考えてたんだけど、ポーランドに行ってきたっていう話をすると、だいたいワルシャワかクラクフの話になる。アウシュヴィッツとか。でも、僕が一番こう、ずっしり心に残ってるのは、チェンストホヴァっていう街にあるヤスナ・グラ修道院なんだよね。
なんでだろうな。…たぶん、 वहांにある一枚の絵のせいだと思う。
重点一句話
結論から言うと、そこはただの宗教施設じゃなくて、ポーランドっていう国の魂とか、歴史そのものが凝縮されたような場所だった。
傷のある聖母
その絵っていうのが、「チェンストホヴァの黒いマリア」と呼ばれるイコン。まあ、聖母マリアの肖像画だね。正直、行く前は写真で見て、ふーん、って感じだった。でも、実物は全然違った。
まず、すごく暗い。何百年もの間、巡礼者が灯し続けたロウソクの煙で、絵が文字通り黒ずんでる。神々しいんだけど、それ以上に何かこう、厳しい時間を生き抜いてきた凄みがある。
で、何より目を引くのが、聖母の右頬にある二本の切り傷。これ、1430年にフス派の略奪者がつけた傷らしい。修復しようとしても、なぜかこの傷だけは消えなかった…っていう伝説が残ってる。この傷が、ただの損傷じゃなくて、ポーランドという国が何度も経験してきた苦難の象徴になってるんだ。
この絵、面白いことに時々「服」を着せ替えられるんだよね。何世紀にもわたって、いろんな人や団体から寄進された豪華な刺繍のローブとか宝石とか。絵を傷つけないように、ピンとか糸で慎重に飾り付けられてる。信仰の表現なんだろうけど、なんだか人形みたいでちょっと不思議な感じもした。
でも、みんなこの絵をただの「聖なる絵」として見てるわけじゃない。もっと大きな存在。「ポーランドの母」であり、「ポーランドの女王」なんだ。傷を負いながらも、決して壊れることのなかった国の魂そのものとして。
信仰と国家、一枚の絵が持つ二つの顔
この「黒いマリア」を理解しようとすると、宗教的な意味と、国家的な意味がごちゃ混ぜになってくる。僕なりに整理してみたんだけど、こんな感じかな。
| 要素 | 宗教的な意味合い | 国民的・歴史的な意味合い |
|---|---|---|
| 黒いマリア像そのもの | 奇跡を起こす聖母マリアのイコン。癒しと信仰の対象。まあ、普通に考えたらこれだよね。 | 傷を負いながらも国民を守り続ける「ポーランドの女王」。国の母。こっちの意味がすごく強い。 |
| 頬の二本の傷 | 15世紀のフス派による襲撃の跡。聖像が受けた受難の証。 | プロイセン、オーストリア、ロシアによるポーランド分割とか、第二次大戦でのナチスとソ連による占領とか…国が受けた全ての傷の象徴。 |
| ヤスナ・グラ修道院 | 聖母マリアへの巡礼地。カトリック信仰の中心。 | 17世紀にスウェーデンの侵攻から国を守った「霊的な要塞」。ここが落ちなかったから、国は持ち堪えた、みたいな。 |
| 巡礼者 | 罪の許しや救いを求めて祈る信者たち。 | 国への忠誠を誓い、国民としてのアイデンティティを再確認する人々。…ちょっと大げさかもしれないけど、そんな雰囲気がある。 |
膝で歩く人たち
この修道院で一番衝撃的だったのは、そこに集まる人々の姿だったかもしれない。年間300万人以上がここを訪れるらしいんだけど、その熱量がすごい。
特に、聖母像が安置されてる礼拝堂。そこで、床にひざまずいて、そのまま膝で進んでいく人たちを何人も見た。…いわゆる「膝行」ってやつ。最後の数メートルを、そうやって祈りながら進むんだ。
正直、最初は理解できなかった。何百キロも歩いて巡礼に来る人がいるっていうのは知ってたけど、目の前でその光景を見ると、言葉を失う。僕ら日本人には、ここまでさせる信仰って、なかなか想像がつかない。ああ、この国の人々にとって信仰は、文化とか生活とか、そういうレベルを越えて、もっと根源的なものなんだなって思った。
「我らの教皇」とポーランドの魂
この、ポーランド人の信仰と国のアイデンティティを語る上で、絶対に外せない人物がいる。ヨハネ・パウロ2世だ。
ポーランド出身で、450年以上ぶりに非イタリア人から選ばれたローマ教皇。ポーランド人にとって彼は、ただの偉人じゃない。もう、聖なる存在に近い。
彼が教皇に就任した直後の1979年、故郷ポーランドを訪問したときの話は、今でも語り草になってる。当時のポーランドは共産主義政権下。でも、ワルシャワでのミサには100万人を超える人々が集まった。その時、彼が「聖霊よ、降りてきて、この地の顔を新たにしてください」って呼びかけたんだ。これは単なる宗教的なメッセージじゃなかった。
この言葉が、人々の心に火をつけた。そして、後の自主管理労働組合「連帯」(Solidarność)の結成につながり、最終的には非暴力で共産主義政権を終わらせる大きなうねりになった。これ、ポーランド政府観光局の公式サイトなんかにも事実として書かれてるんだけど、西側のメディア、例えばBBCのドキュメンタリーなんかでは「革命の導火線」みたいに分析されてる。でも、現地の人の話を聞くと、そういう政治的な文脈だけじゃないんだよね。もっとこう、「我らの父が帰ってきて、希望を示してくれた」みたいな、家族を迎えるような熱量を感じる。
ヤスナ・グラ修道院の中にも、彼の肖像画がたくさん飾られていた。黒いマリア像の隣で祈る姿、人々に語りかける姿…。まるで彼の魂が、今もこの回廊を歩いているみたいだった。
一枚の絵から見えたもの
結局のところ、僕が見たのは一枚の古い絵だったのかもしれない。でも、その傷だらけの聖母像と、そこに祈りを捧げる人々、そして彼らが誇りに思う教皇の物語…。それら全部を通して、ポーランドという国の、悲しくて、でもすごく強くて、優しい部分に少しだけ触れられた気がするんだ。
歴史に翻弄され続けても、決して希望を捨てなかった人々の心の拠り所。それが、あの黒いマリア像なんだろうな。うん、そんな感じ。ただの観光じゃなかった。行ってよかったと、今でも思う。
あなたの国や住んでいる地域で、ヤスナ・グラ修道院のように「信仰の対象」が「国民や地域の象徴」にもなっているような場所ってありますか?もし思い当たるところがあれば、ぜひ教えてください。
