P-Townに息づくポルトガル系アメリカ人の歴史と文化:漁業の町が育んだ移民コミュニティの変遷

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今のプロビンスタウン、昔のプロビンスタウン

最近、アメリカの古い港町の歴史について考えてたんだけど、面白い場所を見つけた。マサチューセッツ州の、ケープコッドっていう細長い半島の本当に先端にある、プロビンスタウン。通称Pタウン。

知ってる?今じゃアメリカで最も有名なLGBTQ+フレンドリーなリゾート地の一つ。夏になると観光客ですごいことになるらしい。家なんて、28平米くらいのワンルームが75万ドルとか…信じられない値段で取引されてる。

でもね、この街のほんの数十年前の顔は、全然違ったんだ。ポルトガル系移民が築いた、質素な漁師町だった。その変化が、なかなか…考えさせられる。

そもそも、なぜポルトガル系移民が?

話は1800年代の後半まで遡る。アゾレス諸島とかポルトガル本土から、たくさんの移民がこの町にやってきた。目的は、もちろん漁業。ニシンとかタラとか、そういうのを獲って加工するのが主な産業だった。

1950年代くらいまで、町の人口の半分近くがポルトガル系だったっていうから、すごいよね。街を歩けばポルトガル語が聞こえてくるような、そんな感じだったんだろうな。日本で言うと…うーん、伊豆半島とか能登半島の先端にある漁港みたいな場所かな。でも、歴史の重なり方が全然違うんだよね。

やがて、他の多くの漁師町と同じように、漁業は衰退していく。それで、町の主役はゆっくりと観光業にシフトしていった。

街を見下ろすピルグリム・モニュメント
街を見下ろすピルグリム・モニュメント

そびえ立つ塔と、見えない緊張

プロビンスタウンで一番目立つ建物は、ピルグリム・モニュメントっていう石の塔。高さ77メートル。アメリカで一番高い花崗岩の建築物らしい。

これ、名前の通りピルグリム・ファーザーズ…つまり、アメリカ建国の父みたいな人たちを記念して建てられた。彼らがプリマスに定住する前に、最初に上陸したのがこのプロビンスタウンだったから。まあ、5週間くらい探検して、結局は湾の向こう側のプリマスに行っちゃったんだけど。

面白いのは、この塔が計画された時期。1890年頃、町の人口がピークに達して、ポルトガル系が45%を占めていた時代。当時、町の政治を牛耳っていたのは、昔からいる「ヤンキー」と呼ばれるアングロサクソン系の人たち。歴史家によれば、彼らが自分たちの地位を再確認するために、この記念碑の建設を計画したんじゃないかって。

「我々こそが、この土地の最初の開拓者だ」っていう、無言のメッセージ。ポルトガル系移民に対する、ね。皮肉なことに、この塔の礎石を置いたのはセオドア・ルーズベルト大統領で、完成式典にはタフト大統領まで来た。国を挙げての一大プロジェクトだったわけだ。

要するに、ポルトガル系移民が必死に働いてコミュニティを築いている真上で、巨大な石の塔が「お前たちの居場所はここだぞ」と見下ろしているような…そんな構図だったんだろうな。

歴史の皮肉、主役の交代

でも、歴史って面白い。塔が完成してから30年くらい経った1942年。政府の写真家が撮った一枚の写真があるんだ。

写っているのは、プロビンスタウンの市議会のメンバーたち。キャプションにはこうある。「プロビンスタウンの市議会議員たち。全員がポルトガル系の子孫である」。彼らの背後には、ピルグリムたちがこの地で契約書に署名する様子を描いた絵が飾られていた。

あれだけ「我々が主役だ」と巨大な塔を建てたヤンキーたちに代わって、いつの間にか町の運営はポルトガル系の手に渡っていた。これはなかなか痛快な話だよね。

港に佇む「海と向き合った女たち」
港に佇む「海と向き合った女たち」

今も残る、ポルトガル系の記憶

じゃあ、今のプロビンスタウンにポルトガル系の文化は何も残ってないのかというと、そんなことはない。

毎年6月の最終週末には、「ポルトガル祭り」が開催される。パレードがあったり、司教が漁船団を祝福する「船団の祝福」っていう儀式があったり。これは今でも町の大事なイベント。

もう一つ、個人的にすごく惹かれたのが、「They Also Faced the Sea(彼女たちもまた、海と向き合った)」っていう写真インスタレーション。港の桟橋の建物に、巨大なモノクロ写真が飾られてる。写っているのは、かつてこの町で生きたポルトガル系の女性たち5人。夫や息子が海に出ている間、家とコミュニティを守った女性たちに光を当てた作品。すごく力強い。

アーティストとか作家が多く住んでた歴史も面白い。テネシー・ウィリアムズとかカート・ヴォネガットとか。特に、作家のジョン・ドス・パソスはポルトガル系で、ヘミングウェイの生涯の友人だった。ヘミングウェイもよくプロビンスタウンに遊びに来てたらしい。

表で見る、街の変貌

言葉で説明するより、表にしてみると変化が分かりやすいかも。本当にざっくりだけど。

項目 過去のプロビンスタウン (~1950年代) 現在のプロビンスタウン
主な産業 漁業、魚の加工。生活そのものだった感じ。 観光業、アート、不動産。完全にリゾート地だね。
町の雰囲気 質素な漁師町。ポルトガル語が飛び交ってたかも。 活気があってカラフル。アートギャラリーが60軒以上も。
主な住民 人口の半分近くがポルトガル系移民。 ポルトガル系は15%くらいに減少。富裕層、アーティスト、そしてアメリカで最も同性カップルの比率が高い街の一つ。
家の価値 労働者のための、小さくて質素な家。 小さな家が数億円…ちょっと現実味がないレベル。
象徴的なもの 漁船団、教会、家族の繋がり。 レインボーフラッグ、アートギャラリー、ボストンからの高速フェリー。

まとめというか、考えたこと

要するに、ポルトガル系の人たちは、漁業の衰退と観光地化による不動産高騰の波の中で、自分たちが築いた家を驚くような高値で売って、町の外に出て行った、ということなんだろうね。コミュニティの主役が、経済の論理で入れ替わってしまった。

別に、どっちが良いとか悪いとかいう話じゃない。ただ、あるコミュニティが築き上げた場所の価値が上がった結果、そのコミュニティ自身がそこに住めなくなるっていうのは、世界中のいろんな場所で起きてることなんだろうな、と。

ピルグリム・モニュメントは今も街を見下ろしてる。でも、その下で暮らす人々も、街の意味も、すっかり変わってしまった。この塔は、今のプロビンスタウンを見て何を思ってるんだろうね。

現代のプロビンスタウンの賑わい
現代のプロビンスタウンの賑わい

こういう、一つの場所が持つ歴史の層みたいなものを知ると、旅の仕方も少し変わりそう。ただ「きれいなリゾート地」で終わらせるんじゃなくて、その背景にある人々の物語を想像してみる。…まあ、そんなことを考えさせられたPタウンの話でした。

最後に一つ。こういう街の記憶って、誰がどうやって残していくべきなんだろうね?もし自分の故郷がこんな風に変わったら、どう思う?ちょっと考えてみても面白いかもしれない。

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Comments

  1. Guest 2025-11-05 Reply
    プロヴィンスタウン、行くたびにポルトガルっぽさが抜けきらないっていうか、なんか空気から伝わってくる感じあるんだよな。漁業系の仕事してるから魚市場にも顔出すんだけど、あの昔ながらのコッド料理作ってるおばちゃん、まだいるし。夜になるとギャラリーでワイン持ったままアート語り合う人たちもいてさ…。移民の文化がしっかり町に染み込んでるというか、それぞれ自由そうなのが妙に羨ましい。しかも伝統はちゃんと残してて…いやー不思議なバランスだなぁ、と毎回思う。