iPhoneで撮る光と影の世界:日常に潜む陰影表現の撮影テクニックと構図の作り方

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iPhoneの写真、なんか「嘘っぽく」ない?

最近、iPhoneで写真を撮るのが、なんかちょっとしっくりこないなってずっと思ってて。いや、スマホに入ってる写真、気づいたら8万枚超えてて、正直自分でも引くぐらい撮ってるんですけどね。でも、「本物のカメラ」で撮るのとは、何かが根本的に違う気がするんです。

画面上のシャッターボタンを押すのが不自然っていうだけじゃなくて、出来上がった写真そのものに、うーん…ってなることが多くて。スマホの小さい画面で見てると「お、綺麗じゃん」って思うんだけど、PCのモニターで見ると、色がギラギラしてて、シャープネスも効きすぎてる。一言で言うと、すごく「作られた」感じがするんですよね。

これ、僕だけが感じてることじゃないみたいで。去年だったかな、The New Yorkerの記事でまさにこの話が書かれてたんです。Kyle Chaykaっていうライターが、iPhoneの写真はリアルさよりも「分かりやすさ」を優先しすぎてるって指摘してて。

彼の言葉を借りるなら、昔のフィルム写真は意図せずピントがずれたり、ブレたり、フィルムの種類によって独特の色味が出たりした。でも、Appleのカメラは、全部にピントを合わせて、全部の色を鮮やかにして、画像の隅々まで平等に明るく見せようとする。…その結果、写真の中で何が主役なのか分からなくなる、と。まさにそれだ、って思いました。

重点一句話

要するに、iPhone標準カメラの「AIが頑張りました!」みたいな画作りが苦手なら、RAWで撮って、面倒でも自分で現像するっていうのが、今のところ一番しっくりくる答えなのかも、という話です。

じゃあ、どうすればいいの?RAW撮影ってやつ

この「AIっぽさ」、たぶん原因は「計算写真(Computational Photography)」ってやつなんだと思うんですよね。iPhoneは小さいレンズとセンサーの弱点を補うために、一瞬で何枚も写真を撮って、それをアルゴリズムで合成して、ディテールと色を最大限に引き出す、みたいなことをやってる。だから、普通のカメラで撮った写真より「映える」絵になりやすい。

まあ、電車のチケットとか、ランチのメニューとか、そういう記録用の写真なら、文字がくっきり読める方がいいから、この機能は合理的だとは思うんです。でも、もうちょっと「作品」として撮りたいなって思うと、このシャープすぎる感じが、ちょっと安っぽく見えちゃう時がある。

それで、数年前に「Halide」っていうカメラアプリを試してみたのを思い出して。またRAWで撮ってみることにしたんです。あ、別にHalideの回し者じゃないですよ。他にも良いアプリは色々あると思います。個人的にはこれを使ってるってだけで。

RAWで撮るときの心構えって、たぶん「完璧じゃないことを受け入れる」ことかもしれない。AIによる合成じゃないから、カメラは一点に露出を合わせるしかない。そうすると、だいたい明るいところに露出が合って、全体的にアンダー気味、つまり暗めに写ることが多いんです。でも、それでいい。それがいいんです。

パリの路地裏、光と影のコントラスト
パリの路地裏、光と影のコントラスト

上の写真みたいに、影が主役になる感じ。これって、iPhoneの標準カメラじゃ絶対に出てこない表現だと思うんですよね。何でもかんでも明るく見せようとするんじゃなくて、見えない部分は見えなくていい。その潔さが、逆にリアルな雰囲気につながるというか。

作例で見る「標準カメラ」と「RAW」の違い

言葉で説明するより、見てもらった方が早いかもしれませんね。僕が感じてる違いを、ざっくり表にまとめてみました。

比較項目 iPhone標準カメラ (JPEG/HEIC) サードパーティ製アプリ (RAW撮影)
撮った直後の印象 「撮ってすぐ綺麗」なのが売り。AIが全部やってくれる。楽ちん。 正直、眠たい絵。地味。彩度もコントラストも低い。編集が必須。
写真の雰囲気 全体的に明るくて、シャープ。良くも悪くも「優等生」な感じ。 光と影の差が激しい。ドラマチックだけど、ちょっと気難しい玄人肌。
編集の自由度 完成されちゃってるから、後からいじる余地は少なめ。無理すると画質が荒れる。 面倒だけど、光とか影とか、自分の好きなようにいじれる。これぞ写真って感じ。
向いてるシーン 記録、メモ、手軽にSNSに上げたいとき。スピード重視の場面。 少し時間をかけて、雰囲気のある一枚を撮りたいとき。作品作り。
失敗のリスク 失敗は少ないけど、どれも似たような写真になりがちかな…。 露出をミスったりすると、後処理でも救えないことがある。腕が試される。

このモンソー公園の写真もRAWで撮ったものなんですけど、撮った直後は影が真っ黒で、ハイライトは真っ白に飛んでて、正直ひどい絵でした。そこから少し調整して…でも、あの朝の異常に強かった日差しを再現したくて、あえてハイライトは少し飛ばし気味に残してます。普通じゃないかもしれないけど、ありきたりな写真よりは、ずっと記憶に残る気がして。

少しだけ「やりすぎ」な光を残したモンソー公園
少しだけ「やりすぎ」な光を残したモンソー公園

でも、RAWなら何でも解決ってわけでもない

ここでひとつ、誤解しちゃいけないことがあって。元のNew Yorkerの記事もそうなんですが、「RAWで撮れば自動的に自然な写真になる」ってわけじゃないんですよね。むしろ逆で、RAWファイルって、文字通り「生」だから、撮ったままの状態だとすごく見栄えが悪い。

結局、Lightroomみたいな編集ソフトで、自分で手を加える作業が必須になるんです。「自然な仕上がり」っていうのも、結局は自分が編集で作っていくもの。AIがやるか、自分がやるかの違いでしかないんですよね。ただ、その決定権をAIから自分に取り戻すっていうのが、RAWで撮る一番の価値なのかなと。

たとえばこのSlowdiveのライブ写真。これはRAWで撮った後、モノクロに変換してます。なんでかって言うと、ライブの照明って極端だから、色がめちゃくちゃに変な感じに写っちゃって。だったら色情報を捨てて、森山大道の写真みたいに、ザラっとしたモノクロが合うんじゃないかなって思ったんです。

色が破綻したから、いっそモノクロにしたライブ写真
色が破綻したから、いっそモノクロにしたライブ写真

これって、標準カメラで撮ったJPEGだったら、たぶんここまで大胆な編集はできなかった。RAWの広いダイナミックレンジ…つまり、光と影の粘り強さがあったからこそ、できる選択だったわけです。

じゃあ、どっちを使えばいいの?

ここまでRAW撮影を推してきましたけど、じゃあ標準カメラはもう使わないのかって言うと、そんなことは全然なくて。ほとんどの場面では、やっぱり手軽な標準カメラを使います。一瞬を逃さず、パッと撮って、すぐ確認できる利便性は、何物にも代えがたいですから。

でも、ちょっとだけ時間に余裕があって、「今日は写真を撮るぞ」って気分のとき。そういうときは、あえてRAWで撮れるアプリを起動する。そうやって、一手間かける不便さ自体を楽しむのが、いい付き合い方なのかもしれないですね。

結局のところ、カメラはただの道具でしかなくて。AIに「綺麗な写真」を自動で作ってもらうか、それとも不便だけど自分で「好きな写真」を作るか。どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、単なるスタイルの違いなんだと思います。

あなたなら、どっちを選びますか?もしよかったら、あなたの考えも聞かせてください。

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