実用的なアドバイス一覧 - 初心者でもパタゴニアの絶景と自然を安心して満喫できる即行動リスト
- 歩く前に10km未満の短めコースを選ぶ
無理なく絶景ポイントまで到達しやすく、疲労やケガのリスクも下げられる
- 最低2リットルの飲料水を持参
乾燥や強風で思った以上に水分を失うため、頭痛や体調不良の防止になる
- 出発前7日以内に現地の天気と公園入場予約をオンラインで確認
急な天候変化や入場制限を避けて、無駄な移動やトラブルを減らせる
- 1時間ごとに5分休憩をはさむ
疲労が蓄積しにくく、絶景をじっくり味わえる余裕ができる
風との特別な夜を南パタゴニアで体感する方法
### LIFE # 風と過ごす夜 ###
南パタゴニアの地で、ただ事ならぬ感覚に突き動かされて、寝袋を這い出たんだ。手探りでジャケットを引っ掛けてから、あの年季の入った木板の上まで歩いて行った。なんというか、あそこの風はね……峡谷沿いをくるくる巡りながら毎晩耳元にまとわりつくんだよ。ヒンドゥー神話じゃ、この風は「ヴァーユデーヴァ」って呼ぶんだそうだ - 千もの白や紫色の馬に牽かれた眩い車に乗って、美しさと力強さ、それに英雄性までも内包して奔走する――そんな賑やかな神様。「ゴォオオ… ゴォ」。不思議なくらい、その唸る音が肌にじわっと染み込む。ふと思うと体中がぞわぞわしたし、挙句には遠く渓谷を流れる川音まで微かに聴こえてきた。
雪を纏った峰や裂け目みたいな渓谷の縁に僕が初めて立った遥か以前から、不思議なことだけど心はずっとパタゴニアへ寄り添っていたような気がする。熱帯生まれだから雪なんて触れたことも夢見たこともなかったよ。白銀で飾られる峰々が緑鮮やかな牧草地越しに光ってたり、氷河湖をごっそり隠したその景色 - 暑さしか知らない頭ではどう工夫しても辿り着けない光景だった。当時、自分の旅への欲求なんて蛹にも至らないほど未熟だったんだろうな。飛行機さえ一度も搭乗経験なし。それまで自分が“草原”と信じ込んでいた場所と言えば、お屋敷前庭の管理人さんが律儀に散水・刈込み作業までして維持される芝生ぐらいだった。
そんなある日、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(Walter Salles監督)なる映画をぼんやり観ていた記憶がある。この映画、伝説的存在チェ・ゲバラ氏による南米縦断道中の一幕を映像化している。彼ら二人組+バイク「La Poderosa」はブエノスアイレス出発後1,600 kmにも及ぶ長駆果て、真夜中静まり返る広大無辺な野っ原ど真ん中へドサリと下ろされたのであった。(ふう……まあ、人生って妙なタイミングで転調するものだ。)
南パタゴニアの地で、ただ事ならぬ感覚に突き動かされて、寝袋を這い出たんだ。手探りでジャケットを引っ掛けてから、あの年季の入った木板の上まで歩いて行った。なんというか、あそこの風はね……峡谷沿いをくるくる巡りながら毎晩耳元にまとわりつくんだよ。ヒンドゥー神話じゃ、この風は「ヴァーユデーヴァ」って呼ぶんだそうだ - 千もの白や紫色の馬に牽かれた眩い車に乗って、美しさと力強さ、それに英雄性までも内包して奔走する――そんな賑やかな神様。「ゴォオオ… ゴォ」。不思議なくらい、その唸る音が肌にじわっと染み込む。ふと思うと体中がぞわぞわしたし、挙句には遠く渓谷を流れる川音まで微かに聴こえてきた。
雪を纏った峰や裂け目みたいな渓谷の縁に僕が初めて立った遥か以前から、不思議なことだけど心はずっとパタゴニアへ寄り添っていたような気がする。熱帯生まれだから雪なんて触れたことも夢見たこともなかったよ。白銀で飾られる峰々が緑鮮やかな牧草地越しに光ってたり、氷河湖をごっそり隠したその景色 - 暑さしか知らない頭ではどう工夫しても辿り着けない光景だった。当時、自分の旅への欲求なんて蛹にも至らないほど未熟だったんだろうな。飛行機さえ一度も搭乗経験なし。それまで自分が“草原”と信じ込んでいた場所と言えば、お屋敷前庭の管理人さんが律儀に散水・刈込み作業までして維持される芝生ぐらいだった。
そんなある日、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(Walter Salles監督)なる映画をぼんやり観ていた記憶がある。この映画、伝説的存在チェ・ゲバラ氏による南米縦断道中の一幕を映像化している。彼ら二人組+バイク「La Poderosa」はブエノスアイレス出発後1,600 kmにも及ぶ長駆果て、真夜中静まり返る広大無辺な野っ原ど真ん中へドサリと下ろされたのであった。(ふう……まあ、人生って妙なタイミングで転調するものだ。)
映画モーターサイクル・ダイアリーズが旅心に火をつける理由
テントを張ると、あぁ…風がそよぐ音まで部屋のなかに染み込んでくる感じだった。そこで彼らは、その柔らかな空気に身を沈めていったんだけど、不意打ちみたいにそれは激変する――さっきまでの優しい風が突如として暴れだし、地面に定着していない物という物を一掃していく有様。場所は…そう、アルゼンチン側バリローチェ。湖と荒野、その上から迫る雲と荒々しい大気流。その狭間で、この辺りのパタゴニアって本当に「余所者」に厳しい。突風吹きつけてきたり、ごうごうと鳴る雲が天蓋みたいになったり、雪も容赦なく顔や体を突き刺してくるわけ。
そんなふうに、テントごとすっ飛ばされる光景なんて見せつけられて――まあ、気づけば自分はもうパタゴニアへの恋心こじらせちゃった。それがね、それから8年も経って、自分でもそこそこ旅慣れたかなと思えた頃だったんだけど……夫が突然、「パタゴニア行かない?」なんて訊いてきた。正直その瞬間まではね、「パタゴニア」のこととか、エルネスト(…だっけ?)のテント吹っ飛ぶ話とか、一度だって互いに語った覚えなんて無かった。不思議なくらいだ。でも現実問題、この世界の果てと言えるほど遠いその地へ実際足を運ぶとか、少しも想像したことすらなかった。
しかも、本音を言えば、自分自身あんなにも広大な土地なら国として成り立つんじゃないかとも知らず……さらには2つの国家(チリ・アルゼンチン)が境界線のことで延々やり合っているとか、本当失礼ながら聞いたこともなくて。おまけにさ、自分があそこへ引き寄せられていた理由―つまり“あの”風―それ自体が雲までも踊りあげちゃうくらい強靭で桁違いなのだとも認識できていなかった。
……とは言いつつ、その誘いには一瞬も悩まなかったね。「どうしよう」とか迷う暇もなく答えていた気がする。ちなみにパタゴニアはチリ・アルゼンチン両方それぞれ際立った個性がちゃんとある。ほら、有名な三本塔 - トーレス・デル・パイネ国立公園(こっちはチリ側)の景色と匹敵する存在感としては、アルゼンチン側エル・チャルテン近郊フィッツ・ロイ山……あぁ、今思えば全然方向性違う美しさなんだよね。ま、いいか。また話したくなるくらい印象的な場所だったんだから。
そんなふうに、テントごとすっ飛ばされる光景なんて見せつけられて――まあ、気づけば自分はもうパタゴニアへの恋心こじらせちゃった。それがね、それから8年も経って、自分でもそこそこ旅慣れたかなと思えた頃だったんだけど……夫が突然、「パタゴニア行かない?」なんて訊いてきた。正直その瞬間まではね、「パタゴニア」のこととか、エルネスト(…だっけ?)のテント吹っ飛ぶ話とか、一度だって互いに語った覚えなんて無かった。不思議なくらいだ。でも現実問題、この世界の果てと言えるほど遠いその地へ実際足を運ぶとか、少しも想像したことすらなかった。
しかも、本音を言えば、自分自身あんなにも広大な土地なら国として成り立つんじゃないかとも知らず……さらには2つの国家(チリ・アルゼンチン)が境界線のことで延々やり合っているとか、本当失礼ながら聞いたこともなくて。おまけにさ、自分があそこへ引き寄せられていた理由―つまり“あの”風―それ自体が雲までも踊りあげちゃうくらい強靭で桁違いなのだとも認識できていなかった。
……とは言いつつ、その誘いには一瞬も悩まなかったね。「どうしよう」とか迷う暇もなく答えていた気がする。ちなみにパタゴニアはチリ・アルゼンチン両方それぞれ際立った個性がちゃんとある。ほら、有名な三本塔 - トーレス・デル・パイネ国立公園(こっちはチリ側)の景色と匹敵する存在感としては、アルゼンチン側エル・チャルテン近郊フィッツ・ロイ山……あぁ、今思えば全然方向性違う美しさなんだよね。ま、いいか。また話したくなるくらい印象的な場所だったんだから。

自分の旅の夢がパタゴニアへ広がった瞬間を見つける
グレイ氷河が片方にあるなら、もう一方にはペリト・モレノ氷河が存在する。ま、なんというか、その「対」みたいなもんだよね。ただ結局、2019年当時の話だけどさ…チリで導入されてたデジタル化された入国手続きと比べると、アルゼンチン側では正直似たようなシンプルな方法は全然見つけられなかった。うーん、このあたり地味に煩雑だった気がして仕方ない。で、それもあってなのか、結局僕たちがまず向かったのはロジ的な判断としてチリ側になったわけ。
プンタ・アレナス空港に到着して、タクシーへ乗り込んだ瞬間からかなぁ…あの沿岸を吹き抜ける風――強烈なのよ本当に――それが道ばたの木々全部をすごい勢いでしならせてて。「南海(Southern Sea)」から吹きつける風避けようと、同じ方向に皆首かしげて並んでいるようだった。不思議な光景だったね…。
さて、と言いつつ僕らはトーレス・デル・パイネ国立公園で80kmもある“W”型ルートのトレッキング計画していた。いやでもね、西海岸北部で5年間暮らしたことあるから、「ハイクとかキャンプ?別に日常茶飯事やろ?」と内心どこか舐めてもいた。毎週末山へ出てたし、それこそ三方山囲い込み都市の住人だったし。天気良ければ夜に外泊したりさ、星眺めたり波音聞いてたり――ふふ。でもまあ実際問題、その何日も連続しながら55Lのザック背負って歩いて(しかもちょくちょく簡易トイレすら無いっていう…)、ネットとも断絶された状況になる体験となると、それは完全に未知。その上、多分だけど心細さも入り混じる瞬間も多かったかな…。
まぁ、一応出発前には複数ブログ読み漁ったり経路選びや交通機関把握、生存技術のコツ、不安定な天候用ウェア類まで細々下調べはしていた。でも実際には、その周到すぎる下準備を持って挑んだ初日のハイクですら「甘かった」と痛感したねぇ。
カタマラン船使ってPaine GrandeからGreyキャンプ場まで11km…もう途中ずっと慣性だけ頼りに進む感じだった。これホント変な表現だけど、自分でも驚いたくらい。それでさ、道中通った森は過去一度野火で全滅したことがあったそうなんだけど、不思議にも滝のおかげ再生して今また生き生き茂ってた――それが妙に希望っぽく映ったりして。(←このエピソード、勝手ながら好きです。)
プンタ・アレナス空港に到着して、タクシーへ乗り込んだ瞬間からかなぁ…あの沿岸を吹き抜ける風――強烈なのよ本当に――それが道ばたの木々全部をすごい勢いでしならせてて。「南海(Southern Sea)」から吹きつける風避けようと、同じ方向に皆首かしげて並んでいるようだった。不思議な光景だったね…。
さて、と言いつつ僕らはトーレス・デル・パイネ国立公園で80kmもある“W”型ルートのトレッキング計画していた。いやでもね、西海岸北部で5年間暮らしたことあるから、「ハイクとかキャンプ?別に日常茶飯事やろ?」と内心どこか舐めてもいた。毎週末山へ出てたし、それこそ三方山囲い込み都市の住人だったし。天気良ければ夜に外泊したりさ、星眺めたり波音聞いてたり――ふふ。でもまあ実際問題、その何日も連続しながら55Lのザック背負って歩いて(しかもちょくちょく簡易トイレすら無いっていう…)、ネットとも断絶された状況になる体験となると、それは完全に未知。その上、多分だけど心細さも入り混じる瞬間も多かったかな…。
まぁ、一応出発前には複数ブログ読み漁ったり経路選びや交通機関把握、生存技術のコツ、不安定な天候用ウェア類まで細々下調べはしていた。でも実際には、その周到すぎる下準備を持って挑んだ初日のハイクですら「甘かった」と痛感したねぇ。
カタマラン船使ってPaine GrandeからGreyキャンプ場まで11km…もう途中ずっと慣性だけ頼りに進む感じだった。これホント変な表現だけど、自分でも驚いたくらい。それでさ、道中通った森は過去一度野火で全滅したことがあったそうなんだけど、不思議にも滝のおかげ再生して今また生き生き茂ってた――それが妙に希望っぽく映ったりして。(←このエピソード、勝手ながら好きです。)
チリとアルゼンチン両方のパタゴニア旅行先をどう選ぶ?
コンドルは、あのGrey Glacierがはるか向こうにぼんやり見え始めるまで、ずっと同道してくれたんだよね。なんだろう、歩を進めれば進めるほど、自分が普段慣れている文明圏みたいなものの縄に引っ張られる感覚がじわじわと染み込んでくるっていうかさ。本当に嫌になるよ。Grey Campsite――そこがボートで引き返せる最後のポイントだったし、それ以降はもう、全部自分の足頼りなんだ。でも正直な話、そのころには心身ともになんだかへとへとで、「実際に起きていない怪我」まで想像してしまうありさま。
加えて…妙に苛立ってしまった。いや、疲れももちろんあるけど、それだけじゃない。しかもよりにもよってハイキング初日、生理スタートとか…これは本当に参った。「自分で何やってるんだ?なんでわざわざ苦行ごっこみたいな状況選んだ?」内心そんな言葉がぽろりと出てきたりする。一晩寝ても惰性は抜けきらず、その翌日Refugio Francesへのトレッキングでもモヤモヤしたままだったし、更にその次の日Mirador Britanicoまで歩いている時ですら晴れることはなかった。
いやあ、それだけじゃなくてね。Grey campsiteから先に進み氷河をもっと近くで見ることすら拒否するくらい尻込みしていた気がする。あとMirador Britanicoへの道中、大粒の氷雨混じりの嵐(パタゴニアあるある)にも当たって、ビビッて無理せず避難所を探す始末。「天気なんて一時間毎にコロコロ変わるよ」―誰か言ってたけど、本気でそれを受け入れられたかどうか…今思えば疑問符しか浮かばない。その不安みたいなものがようやく解消されたかなと思えたのは、多分四日目、Refugio FrancesからRefugio Chilenoまで歩いた瞬間だったと思う。この二つのキャンプ場の間隔――29 kmだったかな?これまでバックパック背負って歩いた中では最長区間だったし、本当にキツかった…。ま、いいか。
加えて…妙に苛立ってしまった。いや、疲れももちろんあるけど、それだけじゃない。しかもよりにもよってハイキング初日、生理スタートとか…これは本当に参った。「自分で何やってるんだ?なんでわざわざ苦行ごっこみたいな状況選んだ?」内心そんな言葉がぽろりと出てきたりする。一晩寝ても惰性は抜けきらず、その翌日Refugio Francesへのトレッキングでもモヤモヤしたままだったし、更にその次の日Mirador Britanicoまで歩いている時ですら晴れることはなかった。
いやあ、それだけじゃなくてね。Grey campsiteから先に進み氷河をもっと近くで見ることすら拒否するくらい尻込みしていた気がする。あとMirador Britanicoへの道中、大粒の氷雨混じりの嵐(パタゴニアあるある)にも当たって、ビビッて無理せず避難所を探す始末。「天気なんて一時間毎にコロコロ変わるよ」―誰か言ってたけど、本気でそれを受け入れられたかどうか…今思えば疑問符しか浮かばない。その不安みたいなものがようやく解消されたかなと思えたのは、多分四日目、Refugio FrancesからRefugio Chilenoまで歩いた瞬間だったと思う。この二つのキャンプ場の間隔――29 kmだったかな?これまでバックパック背負って歩いた中では最長区間だったし、本当にキツかった…。ま、いいか。

トレッキング初心者でも挑戦できるトーレス・デル・パイネWトレック準備術
行程に寄り添うみたいに、私たちのすぐそばをずっと流れてくれたのが、氷河湖で有名なLago Norgenskjoldだ。それと、何とも言えない独特な二つの角――どこから見てもわかるLos Cuernosの頂も、ぼんやり浮かんでいた。Cerro Almirante Nietoの麓では、野性味あふれる花々が一斉に咲いててさ、それが妙に道を明るくしていたんだよね。うーん、この日は…薄い雲が風に押されて空を渡っていく感じ。でも、不意にパラッと雨粒を落としたかと思えば、その直後には嘘みたいな青空になる - まあ、不安定だけど悪くはない天気だった。ほんとう、一歩ごとに歩幅を確かめて進むしかなくて、疲れたら立ち止まって、小川のほとりでボトルへ水補給。それくらいしか余裕なし。山岳地帯らしい岩ごろごろした小路から始まり、やがて湖畔沿いへ抜けていき、それから一転して開け放たれた牧草地まで続いていたっけ…。そして例の砂利道カーブ(スイッチバック)に差し掛かった時、「これマジか」とため息。その細かな白砂利…滑るったらない。私たちは多分1時間以上登り詰めていて、その間もトレッキングポールでなんとかバランス崩さぬよう必死。しかし峠脇の曲がり角まで上がったところで—その先はひどく平坦だった。不思議だよね、この区間だけ。でもさ、自分は坂途中でもう汗だくだし、着込んでいたジャケット全部脱ぎ捨て束ねる羽目になった。渓谷脇の狭苦しい山道へ進む頃には意識も半分朦朧。でもそこで突然ガツンと強風!しゃがみ込む余裕もなく身体縮めながら、とっさにザックの音立つポンチョ巻きを抑えて耐えるしかない。この突風ばっかは予想外だったわ…。ま、いいか。
ハイキング中に直面する困難とうまく付き合うコツとは
ここ数日間に体感した風なんて、Paso de los Vientos(風の峠)で浴びたあの荒っぽさには遠く及ばなかったんだよね。ゆるゆると歩みを進めていたけど、風が突然本気出すときには思わず立ち止まって、いや…じっとしているしかなかった。そして結局、日がほとんど沈む寸前になってやっとRefugio Chilenoにたどり着いたという感じ。ここはAscencio川のすぐそば、ベーストーレスを眺める高台に位置していて、不意に目をひく明るい黄色のテントが木造デッキの上にあちこち建っている様子が面白い。一つ言うなら、このキャンプ場では食堂から自分たちのテントまで歩くだけで軽いハイキングみたい、と感じる人も案外多そうだよ。まあこの国立公園内でも唯一、歩きでしか辿り着けないサイトになっているし、そのぶん物資とか全部馬運搬なんだよね。パタゴニア全体が隔絶された場所だって感じてもおかしくないけれど、その中でもChilenoは一段と“遠い”。いや、本当にぽつんとしているというか。
共用ホールでは見知らぬ旅人同士でポツポツ話し込んだり、お互い少し照れながら美味しい夕食を楽しんで、そのあと20時半くらいかな、自分たちのテントへ足を向けた。不思議だけど、翌朝3時スタート予定だったLas Torresハイキングが控えていたので、早々横になることにしたんだ。ただ―夜中、不意打ちみたいな音でふっと目覚めてしまった。「え?」って寝ぼけながら耳を澄ますと――渓谷沿いで反響する規則正しい「フーッ」という響き。それがまるで山から精霊か何かが逃げ出して空回りしているようにも感じちゃったり…。その「フーッ」は波が岸辺をやさしく撫でて去る瞬間にも似ていて、それから静かに消え失せていった。ま、いいか。
共用ホールでは見知らぬ旅人同士でポツポツ話し込んだり、お互い少し照れながら美味しい夕食を楽しんで、そのあと20時半くらいかな、自分たちのテントへ足を向けた。不思議だけど、翌朝3時スタート予定だったLas Torresハイキングが控えていたので、早々横になることにしたんだ。ただ―夜中、不意打ちみたいな音でふっと目覚めてしまった。「え?」って寝ぼけながら耳を澄ますと――渓谷沿いで反響する規則正しい「フーッ」という響き。それがまるで山から精霊か何かが逃げ出して空回りしているようにも感じちゃったり…。その「フーッ」は波が岸辺をやさしく撫でて去る瞬間にも似ていて、それから静かに消え失せていった。ま、いいか。

長距離ハイクで絶景や花々をじっくり楽しむためのアイデア
風ってさ、一回は止まったと思ったんだよね。でも結局、どこか違う場所で、また勢いづいて吹き戻してた。ウーシュ、ウーシュ…あれ、本当に耳に残る音だった。寝袋の奥に丸まって、何分もじゃ済まない気がするくらい長く、そのウーシュにただ神経を傾けていた気がするんだ。……なんでこんなことになってる?みたいな疑問が頭を離れず、それでもすぐには答えが出なくて、後になって少しだけ腑に落ちた感じだった。
考えごとをしている真夜中、ドップラー効果の仕組み──波源と観測者との相対運動によって波の周波数が変わるアレ──については全然思いつかなかった。不思議だけど、その瞬間よぎったのはディズニー映画『アラジン』のジーニーだよ。胴体はやたら大きくて尻尾ばっかり細く伸びる、あの不自然なバランス……そんなイメージ。うん、とりあえず寝袋からノソノソ這い出してジャケット取ってさ、小さめな木の板敷きまで足元フラつきながら行った。
昼間あんなふうに山道で意地悪だった風は、夜になると今度は渓谷沿いを勝手知った顔で巡回し始めるわけで。お決まりコースかなぁ。それ以外誰も邪魔できない時間帯――森全体が一瞬だけ静まり返り、「ウーシュ」のあと急に凪いでしまう妙な休憩タイムになって。その場では自分しか存在しない錯覚にも襲われるし、不意に「これ全部、自分ひとり狙われてない?」とか被害妄想じみた感情にもなる。くだらない話だけど、その様子がどうしてもボリウッド映画なんかの恋人役ヒーローがヒロインの回りばっか騒々しく走り回る名シーンとかぶって見えてしまった。
思えばヒンドゥー教神話じゃ風神ヴァーユデーヴァという名があって、「優美さ・力・勇敢さ兼ね備えし者よ」「千頭もの白馬あるいは紫馬につながれ輝く車輪付き戦車引っ張られて暴れる」──そんな伝承まであんだから…いやもう本当、ウーシュだよね、この世は。ま、いいか。
考えごとをしている真夜中、ドップラー効果の仕組み──波源と観測者との相対運動によって波の周波数が変わるアレ──については全然思いつかなかった。不思議だけど、その瞬間よぎったのはディズニー映画『アラジン』のジーニーだよ。胴体はやたら大きくて尻尾ばっかり細く伸びる、あの不自然なバランス……そんなイメージ。うん、とりあえず寝袋からノソノソ這い出してジャケット取ってさ、小さめな木の板敷きまで足元フラつきながら行った。
昼間あんなふうに山道で意地悪だった風は、夜になると今度は渓谷沿いを勝手知った顔で巡回し始めるわけで。お決まりコースかなぁ。それ以外誰も邪魔できない時間帯――森全体が一瞬だけ静まり返り、「ウーシュ」のあと急に凪いでしまう妙な休憩タイムになって。その場では自分しか存在しない錯覚にも襲われるし、不意に「これ全部、自分ひとり狙われてない?」とか被害妄想じみた感情にもなる。くだらない話だけど、その様子がどうしてもボリウッド映画なんかの恋人役ヒーローがヒロインの回りばっか騒々しく走り回る名シーンとかぶって見えてしまった。
思えばヒンドゥー教神話じゃ風神ヴァーユデーヴァという名があって、「優美さ・力・勇敢さ兼ね備えし者よ」「千頭もの白馬あるいは紫馬につながれ輝く車輪付き戦車引っ張られて暴れる」──そんな伝承まであんだから…いやもう本当、ウーシュだよね、この世は。ま、いいか。
強風エリア・ウィンディーパス通過時に安全性を確保するには
私と彼のふたりきりだけで、Santa Mariaの旋律が流れるなか、タンゴを踊っていたんだよね。鳥肌立つなんてもんじゃなくて、音楽にまるごと包まれていた。えっと……そういえば谷間から川のくすくす笑うようなさざめきが聴こえてきた瞬間もあったっけ。風の轟きはいつしかおとなしくなって、最終的に残ったのは川の音だけだったと思う。なんというか、その川……まるで無遠慮に入り込んできて騒ぐ少女合唱団みたいでもあったなぁ(笑)。で、そのあと風は急に気まずくなったようで、そそくさとどこかへ行ってしまった。
それから、目覚めて時間が経とうとも消えないものがある。永遠とも思えた一場面――自分自身がひしひし生きている感触に満たされた一時。それを今になって何度も思い返すことになるとは。当時読んだJoseph Campbellによれば、「永遠とは“今ここ”という層であり、それを時間軸で捉えることでかえって区切られてしまう」らしい。でも、自分ではまだ納得できていない部分も多いかな。ま、とりあえず目を閉じれば、一瞬また暗い中木製ベンチに腰掛けている気持ちになれる。周囲を通り抜ける微妙な風 - 妙にリアルだった。
そして夜明け前から歩いていたハイキング道。その刹那への焦がれは確実に心につき刺さっていた。ただ、もう風はいなくなったんだよな。不在の代わりと言わんばかりに頭上いっぱい嵐雲が広がったっけ。本当に別れは寂しかったよ。その時、大空まで一緒になって泣いているようだった。一陣の冷たい暴風雨 - 言葉通り、涙ですら地表へ辿り着く前に凍るくらい寒かった。屋根も庇もないトーレスへの登山道、生存本能みたいな原始的恐怖が体中駆け回る……そんな感覚だった、いや実際そうだった気がする。ま、いいか。
それから、目覚めて時間が経とうとも消えないものがある。永遠とも思えた一場面――自分自身がひしひし生きている感触に満たされた一時。それを今になって何度も思い返すことになるとは。当時読んだJoseph Campbellによれば、「永遠とは“今ここ”という層であり、それを時間軸で捉えることでかえって区切られてしまう」らしい。でも、自分ではまだ納得できていない部分も多いかな。ま、とりあえず目を閉じれば、一瞬また暗い中木製ベンチに腰掛けている気持ちになれる。周囲を通り抜ける微妙な風 - 妙にリアルだった。
そして夜明け前から歩いていたハイキング道。その刹那への焦がれは確実に心につき刺さっていた。ただ、もう風はいなくなったんだよな。不在の代わりと言わんばかりに頭上いっぱい嵐雲が広がったっけ。本当に別れは寂しかったよ。その時、大空まで一緒になって泣いているようだった。一陣の冷たい暴風雨 - 言葉通り、涙ですら地表へ辿り着く前に凍るくらい寒かった。屋根も庇もないトーレスへの登山道、生存本能みたいな原始的恐怖が体中駆け回る……そんな感覚だった、いや実際そうだった気がする。ま、いいか。

夜中のパタゴニアキャンプ場で感じた“永遠”と出会う体験談
あの時、私たちはTorresも、あの有名な三つの塔も見れなかった。全部、分厚い霧がね、とことん覆っていてさ。…まあ仕方ない。今振り返ってみても、あの夜からもう六年経ったけど、自分の中でいつまでも風と共にある――そんな一瞬を探し続けている気がする。そうだなぁ…。インドのケーララ州でマンゴーとかココナッツの木々が熱帯暴風雨でグワングワン揺れてる時にも、なんとなくその瞬間を追いかけてた気がしてさ。「え?」と思うかもしれないけど、本当にね。 それこそシアトルで秋になって、自宅前のオークの木が浜辺みたいにうねるようにゆっくり揺れる日ですら、「これじゃない」と胸騒ぎすら覚える。それでもやっぱり、あの一夜に触れた風には敵わなくて。
五年後くらいかな…会社を無理やり休んだ時、一番最初に足を向けた場所はパタゴニアのRefugio Chilenoだった。さすがに全5日間フルのトレッキングを歩き切ろうとは思えず(体力も根性もそこまで自信なし…)、ただただ「風」に会いたくて行っただけだった。本当によく分からん理由。でも、そのキャンプ地の木製ベンチでぼーっと座って、「ヴァーユデーヴァ」が紫色馬車で現れてくれないかな~なんてふざけた想像ばかりしていたよ。つい「サンタ・マリア」まで待ってたりするんだから人間おかしい(笑)。でも聞こえる音は谷沿いを蛇行する川水音だけだった。何とも言えぬ静寂。
それからバリローチェへ足を運び、昔―例によってチェ・ゲバラ氏自身のテントごと風に吹っ飛ばされ、そのまま自分までパタゴニア沼落ちした思い出と再開する形になった。不思議な話だよほんと。その湖面は青空下できらめいていたし、一帯咲き乱れる野花はどう形容すべきか途方に暮れる美しさだった。「いやもう目眩しそう」。ここでもまた確かに風は吹いていた、しかし前とは違う表情という気もした。そして現在もなお、不意打ちみたいな超越的体験―あの日闇夜で峡谷抜けて耳元残ったあの風音へ自分自身ぐっと引き戻せる感覚だけが奇妙にはっきり残ってる。ま、いいか。この感覚だけは忘れることができそうになくて――不器用ながら今日もまた、それを手繰ろうとしている自分がいるんだよね…。
五年後くらいかな…会社を無理やり休んだ時、一番最初に足を向けた場所はパタゴニアのRefugio Chilenoだった。さすがに全5日間フルのトレッキングを歩き切ろうとは思えず(体力も根性もそこまで自信なし…)、ただただ「風」に会いたくて行っただけだった。本当によく分からん理由。でも、そのキャンプ地の木製ベンチでぼーっと座って、「ヴァーユデーヴァ」が紫色馬車で現れてくれないかな~なんてふざけた想像ばかりしていたよ。つい「サンタ・マリア」まで待ってたりするんだから人間おかしい(笑)。でも聞こえる音は谷沿いを蛇行する川水音だけだった。何とも言えぬ静寂。
それからバリローチェへ足を運び、昔―例によってチェ・ゲバラ氏自身のテントごと風に吹っ飛ばされ、そのまま自分までパタゴニア沼落ちした思い出と再開する形になった。不思議な話だよほんと。その湖面は青空下できらめいていたし、一帯咲き乱れる野花はどう形容すべきか途方に暮れる美しさだった。「いやもう目眩しそう」。ここでもまた確かに風は吹いていた、しかし前とは違う表情という気もした。そして現在もなお、不意打ちみたいな超越的体験―あの日闇夜で峡谷抜けて耳元残ったあの風音へ自分自身ぐっと引き戻せる感覚だけが奇妙にはっきり残ってる。ま、いいか。この感覚だけは忘れることができそうになくて――不器用ながら今日もまた、それを手繰ろうとしている自分がいるんだよね…。
目的なく歩くことで得られる自然との一体感はどこで訪れる?
ピルシグが『Zen and The Art of Motorcycle Maintenance』でこんなことを語っていたっけ。「訓練されていない目からすれば、利己的な登山も無私の登山も、見分けはつかないだろう。両者とも同じように一歩一歩進むし、息切れして立ち止まったり休憩したりする、それでもまた歩き始める。」 - まあ、正直なところ、この差は案外大きいのだけど。なんというか、その日Chilenoへ向かったハイキング、あれだけが自分にとって完全に無心でできた体験だったような気がする。一歩ごとに、目的とか何にも考えず、とりあえず足を出すだけ。その妙な静寂とか森の深い部分を抜けた時の幸福なしんどさ…そういうものに包まれる感じ、うーん…。なんというかな、エゴじゃなく、「今」に溶け込んじゃった感覚? でもさ、それって自分から求めてもなかなか得られるものじゃない。むしろ、今思えば一度きりそういう瞬間があるだけでも十分ありがたいことでしょう。でね、自覚して「もう一度味わいたい」と強く望み始めると──それすら俗っぽく崩れてしまう気がして。なんだかな…それを意図的に追いかけること自体がちょっと冒涜なのかもしれない、と最近は思うようになってしまったよ。ま、いいか。