最近、パタゴニアのことをよく思い出すんだけど、特にあの夜の風の音。なんていうか、人生で一度あるかないかの体験だったな、って。きっかけは映画だったんだよね、正直に言うと。『モーターサイクル・ダイアリーズ』。チェ・ゲバラの南米旅行のやつ。あの映画で、ゲバラたちのテントが強風で吹き飛ばされるシーンがあって。それを見て「うわ、行ってみたい」って思った。変だよね、普通は大変そうって思うのに。
でも、その時はまだ海外旅行すらしたことなくて、夢のまた夢。パタゴニアがチリとアルゼンチンにまたがる巨大な土地だってことも、国境を管理するのがめちゃくちゃ大変な場所だってことも、何も知らなかった。
で、結局どっちに行くの問題:チリか、アルゼンチンか
それから何年も経って、夫が「パタゴニア、行ってみる?」って。もう即答だよね。で、まずぶち当たったのが「チリ側とアルゼンチン側、どっちに行く?」っていう問題。どっちも魅力的なんだよ、これが。
有名な山で言えば、チリには「トーレス・デル・パイネ」のあの三本岩があるし、アルゼンチンには「フィッツロイ」っていう、これまたすごい山がある。氷河も、チリにはグレイ氷河、アルゼンチンにはペリト・モレノ氷河。もう、どっちもすごい。正直、めちゃくちゃ悩んだ。
最終的に、僕らがチリを選んだのは、すごく現実的な理由。2019年当時、チリの入国手続きがオンラインでかなりスムーズだったんだ。それに比べてアルゼンチンはちょっと…手間がかかりそうで。初めてだし、まずは確実に行ける方を選ぼうって。まあ、そんなロジスティックな理由だったわけ。
先說結論:旅のハイライトは有名な景色じゃなくて、予期せぬ瞬間に訪れる
先に言っちゃうと、結局5日間のトレッキングで、一番の目的だったトーレス・デル・パイネの三本岩、見れなかったんだよね。悪天候で。でも、そんなことどうでも良くなるくらいの体験が待ってた。目的を達成することだけが旅じゃないんだなって、心から思った。
實作指引:Wトレックの現実と心の壁
僕らが挑戦したのは、トーレス・デル・パイネ国立公園の「Wトレック」っていう、だいたい80kmを4泊5日で歩く有名なルート。アメリカの自然公園でハイキングやキャンプは結構やってたから、正直、ちょっと甘く見てた。週末のハイキングとは全然違ったね。
まず、荷物が重い。55リットルのバックパックに全部詰め込んで、それを背負って毎日何キロも歩く。トイレもまともにない場所で、完全に外界と遮断されて…。これが想像以上にキツかった。
出発前に、いろんな人の体験記を読み漁って、ルートとか、持ち物とか、天候対策とか、もう完璧に準備したつもりだった。でも、心の準備はできてなかったみたい。初日、カタマラン船を降りて11km歩いてグレイキャンプサイトに着いたんだけど、ずっと奇妙な無気力感に襲われてた。「まだ引き返せる…」って気持ちがどこかにあって。文明社会に引き戻される感じ、わかるかな?
おまけに、最悪なことに初日に生理が始まっちゃって。疲労と、どこにもないはずの怪我の気配と、自分の中から湧き上がってくるイライラ。「なんで私、こんな拷問みたいなことしてるんだろう?」って、ずっと思ってた。その後の数日間、ブリタニコ展望台へ向かう時も、その無気力感は全然消えなかったな。
對照前三名缺口:ガイドブックが教えてくれない「風」という名のボスキャラ
トレッキングのガイドブックとかブログを読むと、景色の素晴らしさとか、必要な装備とかは書いてある。でも、パタゴニアの風がどれだけヤバいか、その「質」については誰もちゃんとは教えてくれない。あれはただの強風じゃない。意思を持ってるみたいなんだ。
特にヤバかったのが、4日目に通った「パソ・デ・ロス・ビエントス」、つまり「風の峠」。名前からしてヤバそうでしょ。渓谷沿いの細い道に差し掛かった途端、突風が襲ってきた。マジで冗談抜きで吹き飛ばされるかと思った。山の斜面にへばりついて、バックパックにつけたポンチョがバタバタ暴れる音を聞きながら、風が弱まるのを待つ。それまでの4日間で経験した風なんて、ほんの序の口だった。
ゆっくり、ゆっくり進んで、日没近くにやっとその日の宿営地「レフュヒオ・チレノ」に到着した。もうヘトヘト。でも、この日の苦労が、あの夜の体験につながるんだから、面白いよね。
あの夜、風の音しか聞こえなかった
レフュヒオ・チレノは、アセンシオ川の隣、深い谷にあるキャンプサイト。日本の山小屋みたいに建物一つじゃなくて、木製のデッキの上に黄色いテントが点々と張られてる感じ。食堂から自分のテントまで戻るのも、ちょっとした登山気分。ここは馬でしか物資を運べない、まさに最果ての場所。チリの国立公園を管理してるCONAFの管轄だけど、人の手が最小限しか入ってない感じがすごい。
その夜、夜中にふと目が覚めたんだ。どれくらい寝たのかもわからないくらい、深い眠りから。そしたら、奇妙な音が聞こえる。なんだろう、この音…「ウーシュ、ウーシュ」って、リズミカルな地響きみたいな音。遠くで鳴って、だんだん近づいてきて、テントの真横を通り過ぎて、また遠ざかっていく。あ、風か。渓谷を、風が走り回ってるんだ。
その時、ドップラー効果がどうとか、そういう理屈は全く頭に浮かばなかった。ただ、巨大な何かが、山をぐるぐる回ってるみたいだった。アラジンのジーニーがランプから出てきたらこんな感じかな、なんて。寝袋から出て、ジャケットを羽織って、テントの外のデッキに出てみた。昼間、私をあれだけ苦しめた風が、今は渓谷を遊び場にしてるみたいだった。
風が轟音を立てて通り過ぎた後の、ほんの数秒の静寂。森が息を殺してる。そしてまた、別の場所から「ウーシュ!」って音が始まる。なんだか、風が私の周りを回っているような、不思議な感覚に陥った。ヒンドゥー神話にヴァーユっていう風の神様がいるんだけど、まさに神様がそこにいるような、圧倒的な存在感だった。
鳥肌を立てながら、ずっとその音を聞いてた。しばらくすると、風の音が少し静かになって、代わりに川のせせらぎが聞こえてきた。まるで、僕らの時間を邪魔しにきたおしゃべりな女の子たちみたいに。風は、それに照れたみたいに、すーっと去っていった。
常見錯誤與修正
この旅で学んだ一番のことは、たぶんこれ。僕らはつい、旅に「目的」を設定しすぎる。
- 間違い:「絶対にあの景色を見るぞ!」と意気込む。天候に裏切られて、見れなかった時にひどく落ち込む。
- 修正というか、気づき:目的を達成することだけがゴールじゃない。むしろ、そこに至るまでのプロセス、予期せぬ出来事の中にこそ、本当に価値のある瞬間が隠れてる。
- 間違い:疲れや不快感を「旅の邪魔者」と考える。
- 気づき:むしろ、その心身の極限状態が、感覚を研ぎ澄ませてくれることがある。ヘトヘトになって、自我とかエゴとかがどうでも良くなった時に、ふっと世界と一体になるような瞬間が訪れる。
あの4日目、ただ無心で、一歩一歩、足元だけ見て歩いてた。景色を楽しむ余裕もなかった。でも、たぶん、その「無心」の状態だったからこそ、あの夜、風の声をちゃんと聞くことができたんだと思う。
ロバート・パーシングの『禅とオートバイ修理技術』に、似たようなことが書いてあったな。「エゴの登山と無心の登山は、傍から見れば同じに見える。でも、何という違いだろう!」って。まさにそれだった。
あの夜以来、僕はあの瞬間にまた出会いたくて、いろんな場所であの風を探してる。でも、見つからない。たぶん、ああいう体験は、人生に一度、向こうからやってきてくれるものなんだろうね。追い求めて見つかるものじゃない。一度でも経験できただけで、もう、十分すぎる祝福なんだと思う。
もしあなたが長期トレッキングに行くとしたら…
一番の不安要素は何ですか? 「何日も歩き続ける体力的な不安」、「文明から切り離される精神的な不安」、それとも「予測不能な天気や自然の脅威」? よかったらあなたの考えを聞かせてください。
