アジアで働く日本人ビジネスパーソンが実感する西洋より優れている点と現場の具体例

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本稿は、筆者(西洋人)が東アジア・東南アジアで見た範囲に限り、Asiaがthe West(主にEuropeとthe US)より生活の質や運用面で優れて見える点を整理する。

最初に釘を刺すと、「Asia」「the West」はでかすぎる箱で、雑に語るとすぐ崩れる。筆者自身もそこは自覚していて、観察の中心はJapan、Korea、Taiwan、Hong Kong、Thailand、Vietnam、Cambodia、Indonesiaに寄っている。7 months滞在して、以前にも訪問経験がある、という前提。IndiaとMongoliaは行っていないので扱わない。Middle Eastのアジア側も少し触れているが、当事者が必ずしも「Asians」と自認しないことがある、という留保つき。それでも、指摘の一部はQatarにもJapanにも当てはまる可能性がある、という立て方だ。

で、話の骨格は単純で、筆者の印象として「西洋が数世紀にわたり世界を支配してきたが、いまはアジアが多くの面で追い越しつつある/追い越したように感じる」というもの。ここでの「支配」は美談じゃない。奴隷制、ジェノサイド、破壊。そういう暗い側面を含む。それでも同時に、science、art、music、business、technology、philosophyなどで先導してきた、という評価も併記されている。矛盾というより、両方を抱えた歴史観、みたいなやつ。

概念総覧(比較の前提と観察範囲)
概念総覧(比較の前提と観察範囲)

観察の前提:急成長と「経済の中心」という見立て

筆者は、Asiaが過去数十年で爆発的に成長し、世界人口の60%超を抱え、経済の心臓部になっていると捉えている。

この導入は、論文じゃなくて滞在者の観察記に近い。だから「どの統計で心臓部と言うのか」みたいな裏取りは本文ではやらない。その代わり、後段はひたすら生活実感の話になる。quality of life、innovationの感触、そして「全体として追い越された感じがする」。そこに反感はない、むしろ良いことだ、と筆者は言う。ここ、意外と重要で、対立煽りのテンションではなく「学べる点がある」という姿勢に寄せている。

ただし、範囲限定の但し書きは最後まで効く。都市差、国差、所得差。ぜんぶある。ここを忘れると、各節の強い断言っぽさだけが独り歩きする。

Safety:密集した大都市でも「前提として安全」だと感じる

筆者は、訪れた国々の多くでSafetyが高く、子どもが一人でmetroに乗る、$1,000のiPhoneを席取りで置く、商品が無防備に展示される、自転車が無施錠で置かれる、といった光景に驚いたと述べている。

rural Ireland出身で、そこも世界基準では安全なほう。それでも「アジアで当たり前に見える安全」は別格に感じた、という語り口だ。しかも場所は「密集したメガシティ、数百万人が住む」前提。人口密度が高い=危険、みたいな直感を裏切る、と。

対比として、Europeはthe USより安全だが、Europeにも犯罪はある、とする。具体例はItalyでのひったくり(motorbike thieves)と、主要都市でのスリや自転車盗の多さ。夜に一人で歩くことを不安に感じる女性が多い、という一般論も置く。さらに、ティーンエイジャーを一人にすると社会サービスの介入があり得る、という話も出る。ここは価値観と制度の話も混ざってくるから、単純な「治安」だけじゃない匂いがする。

そして一番強い比較が、富裕国だけの話ではない、という部分。TaiwanやSingaporeだけでなく、IndonesiaやChinaでも、Sweden、Britain、France、New Zealand、Canadaよりmurder ratesが50% lowerだ、と筆者は書く。出典は本文内に示されていないので、ここは「筆者の主張」として受け取るのが安全だ。うん、ここ、読者によっては一番引っかかる。数字が強いから。

Public transportとinfrastructure:遅延の少なさ、価格、日常設備

筆者は、Asiaでintercity trainsとmetroを多数利用してtwo delaysしか経験せず、Busanのmetroで2 minutes、Naganoのregional trainで9 minutesの遅れだったと述べている。

遅れの内訳まで具体的だ。Naganoは「近年で最も激しいheaviest snowfall in recent history」の中で、ドアが閉まらなかったことが原因。つまり、単に運が良かったというより「理由が説明可能な遅延だった」というニュアンスを作っている。短い遅延。理由がわかる。運行が基本的に機能している。そういう印象の積み上げ。

対照として、BritainやFranceでは、列車が時間通りに来るのと同じくらいキャンセルや大幅遅延が起きる、と感じている。the USに至っては、鉄道や地下鉄が「存在しないことが多い」とまで言う。ここも強めの言い方だが、筆者の比較軸はあくまで「移動が生活インフラとして成立しているか」。

さらに、アジアの列車はcleaner、quieter、faster、more comfortable、そしてcheaperだとする。価格例として、KoreaとTaiwanではmetroの1回がunder $1。さらに、300-kilometre(Busan→Seoul、またはTaipei→Kaohsiung)のbullet trainが、同日購入でも$30程度。対して、Europeの同等例としてBerlin→Pragueがover $100。条件(時期や席種など)の詳細は書かれていないので、ここも「印象を支える例」として読むべきで、普遍的な運賃表として受け取るのは危ない。そういう線引き。

infrastructureは交通だけじゃない、と筆者は続ける。無料のpublic toilets、WiFi、水飲み場(water fountains)がそこらにある。で、もちろん「開発が遅い国は遅れている」とも言う。だけど、VietnamやThailandの大都市にもmetroや良い道路がある、と主張する。

5 years agoにNorthern ThailandとVietnamでmotor scooterに乗ったとき、道路はrural Irelandと同等以上に良い印象だった、とも。ここは体験談の形だけど、今回のリライトでは「筆者の観察」として保持する。さらに「国際ランキングも同意する」と書くが、ランキング名は出ていない。なので、読者が検証したいなら、道路品質の国際指標を自分で当たる、くらいの距離感が妥当。

核心機制(公共交通の運用感:遅延、価格、設備)
核心機制(公共交通の運用感:遅延、価格、設備)

Food culture:外食の多様さと「日常としての市場」

筆者は、the Westにも素晴らしい食はあるが、Asiaは食べることを支える文化(市場の多様さ・手軽さ・価格)で大きく優位だと述べる。

ここ、言い方がちょっと刺さりやすいので、骨だけ拾う。Europeのfood marketは、筆者の目にはクリスマス市の延長みたいに見えることが多く、似たような$12のソーセージとホットワインが並ぶ。一方Asiaの市場は、安くて、種類が多くて、家で料理する代替として成立する、と。

Thailandでは建物によっては屋内キッチンがない、という指摘もある。他の地域でもキッチンが数日使われないことがある、と。ここは生活構造の違いの話で、「外食=贅沢」ではなく「外食=生活のインフラ」に寄る感じ。

対してthe Westでは、外食がフォーマルなレストランとfast foodに二極化している、と筆者は批判的に書く。半分空いた店で、ポテトに$5上乗せ、ワイングラスに入れた水道水が$4、みたいな例。ファストフード側はMcDonald's、ケバブ、テイクアウトピザ。ここで筆者は、street foodが消えた理由として、高額なライセンスと過剰なhealth & safety standardsを挙げる。因果として提示されているので、そのまま保持する。ただ、制度設計の妥当性まで本文は検証しない。そこは別の議論。

表現として強い比喩(食の産業が人を太らせる、みたいな言い回し)は原文にあるが、主張の方向は変えずに、攻撃性は少し抑えて再構成するのが編集としては無難だと思う。要するに、「選択肢が狭い」「日常の食が高い/質が読めない」「手軽な選択肢がチェーンに偏る」という不満が核。

そしてAsia側の結論はシンプルで、food qualityの一貫性が高い、と。レビューを確認しなくても、street stallや地元店でfreshでaffordableでtastyなものに当たりやすい、という感覚。これも統計ではなく、繰り返しの体験が作る確信のタイプだ。

Affordable accommodation:都市の密度と「手頃さ」のトレードオフ

筆者は、Asiaの都市は高密度で一戸建て居住は難しい一方、都市部のAffordable accommodationは短期・長期とも比較的見つかりやすいと述べる。

ここはトレードオフの書き方が明確だ。密度が高い。家は持ちにくい。だけど「都市で寝る場所が見つかる」という別の価値が立つ。TokyoやSeoulなら、sharehouseで月単位の部屋がa few hundred dollars。豪華ではないが、清潔で、便利で、安全で、交流もあって、安い。LondonやParisでは同等の掘り出し物は不可能だろう、と比較する。

旅行者目線では、capsule hotels、超低価格のbusiness chains、guesthouses、hostels、さらにinternet cafesやspasまで、状況に応じた逃げ道が多い、と言う。Tokyoで、エアコン付きの清潔なホテルが、BarcelonaやDublinの「ひどいホステル」より安いことがある、という表現もある。ここも条件は書かれていないので、普遍化は禁物。でも「選択肢の層が厚い」という指摘自体は、具体例の積み上げとして読める。

そして因果の推測に踏み込む。手頃な宿が短期でも見つかる状況が、homeless rough sleepersが少ない一因なのではないか、と。断定ではない。probably。ここを勝手に「だからホームレスがいない」と言い切ると、原文の確度を超えるのでダメ。

数字としては、Tokyoは地球上でも最大級の都市の一つだが、任意の時点でのホームレスがfewer than 700。Brusselsは中規模都市だが、約10,000。強烈な対比。ただし、この手のカウントは定義や調査方法で揺れるので、本来は出典が欲しい。原文はそこを出していないので、ここも「筆者の提示する比較」として置くのが適切。

Vibrant public spaces:公共空間の活気と「混ざり方」

筆者は、the Westの公共空間が空洞化しがちなのに対し、Asiaでは公園や商業空間が日常の活動で満ちていると述べる。

西側の描写は暗い。ショッピングセンターはオンライン購買で抜け殻になり、賃料が硬直的で回復しづらい。public toiletsは、薬物依存者やホームレスに使われることを理由に閉鎖される。ハイストリートはシャッターが降り、ディスカウントチェーンや、betting shops、pawn stores、payday lendersのような「社会的に腐食的」と筆者が感じる業態が目立つ。公園はホームレスのテント村になる。ここは筆者の価値判断も濃いが、因果の線(オンライン化、賃料、トイレ閉鎖の理由)は原文の主張として維持する。

Asia側は、夕方に高齢者が公園でtai chiやaerobicsをする、outdoor gymsが広く使われる、という具体描写。公園のテントも、ホームレスではなく、日差し避けの学生のピクニックに見える、と言う。さらにstreet foodがあり、ショッピングセンターが元気で、無料トイレが近くにある。細かいが、「トイレがある」って公共空間の体験を決定的に変える。地味に。

最後に「混ざり方」の話が出る。歴史的な寺院、広い公園、ストリートマーケット、大型ショッピングセンターが隣り合うのが普通で、そのエネルギーはthe Westでは希少になりつつある、と。都市計画の思想というより、生活動線の手触りの話として書かれている。

Cuteness culture:効率の中に遊び心を入れるデザイン

筆者は、Asiaが効率的で勤勉な運用を保ちつつ、cuteness cultureのような「柔らかさ」を日常デザインに織り込むのが上手いと述べる。

原文にはFukuoka(Japan)のroadworksの写真が前提で挿入されているが、本文だけだと欠落する。なので、編集としては「工事現場の表示や案内が、注意喚起だけでなく親しみやすさも持つことがある」という一般化に置き換えるのが筋。新事実は足さず、写真依存を外す。

例は他にもある。Koreaではcrosswalksの歩道側が緑・赤に光って、下を見てスマホを触っていても信号がわかるようにしていることがある。JapanやKoreaではmanhole coversが装飾されていることが多い。Taiwanではmetro transport cardsがアニメ、風景、スローガンなど多数デザインで買える。かわいいだけじゃなく、なくしたときに見つけやすい、という実利もある。

それから、convenience storesやmetro stationsで、入店や到着に合わせて5–10 secondのジングルが鳴ることが多い、と。こういうの、合理性だけで詰めると消えがちなんだけど、残ってる。残してる、という感じ。

筆者の結論は「デザインの熟達」だ。ウェブサイトやアプリで良い/悪いデザインの差を経験するのと同じで、日常の細部(香、寺院の装飾、traffic lights、neon signage)まで、時間と思考が投じられているのが見える、とする。ここは定量化ではなく、連続した小さな配慮の総量が作る印象の話だ。

補足・まとめ(「かわいさ」と実用性が同居する街の断面)
補足・まとめ(「かわいさ」と実用性が同居する街の断面)

比較記事としての限界:一般化の強さと、条件の抜け

本稿の主張は筆者の観察に基づくため、国・都市・時期・購入条件によって結論が変わり得る点を留保したまま読む必要がある。

例えば、運賃の$30やover $100は、購入タイミングや等級、需要で変動しうる。宿泊費の比較も、立地や曜日で簡単にひっくり返る。治安の比較(50% lower)やホームレス数(fewer than 700、10,000)も、定義と集計方法で見え方が変わる。原文はそこを精密に詰める構成ではない。だから、この記事から引けるのは「傾向の仮説」と「見るべき観点」だ。

それでも観点として残るものはある。Safetyが生活の自由度を上げること。public transportとinfrastructureが時間とお金の摩耗を減らすこと。food cultureが日常の選択肢を広げること。宿泊の選択肢が都市の排除を弱める可能性があること。公共空間が活動の受け皿になっていること。そして、デザインが生活のストレスを削ること。

結論:細部の運用とデザインが、生活の「楽さ」を作っている

筆者の結論は、Asiaの優位が単一の要因ではなく、安全・交通・食・住・公共空間・デザインの積み重ねとして現れている、という点にある。

the Westが過去に持っていた強さ(scienceやartなどの先導)を否定する話ではないし、歴史の暗部(奴隷制、ジェノサイド、破壊)を無かったことにする話でもない。いま目の前の生活の手触りとして、Asiaの多くの場所が「機能している」ように見える。そういう整理だと思う。

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