最近、旅先でのトラブルについて考えてたんだけど、特にアフリカの陸路国境越えって、本当に毎回何が起こるか分からないよね。計画通りに進むことなんて、まずない。でも、その予測不能な感じが、正直、一番面白いところだったりもする。
あれはシエラレオネからリベリアへ、しかもかなりマイナーなルートで抜けようとしてた朝のこと。まだ朝の7時前で、バイクタクシーの運ちゃんが俺のバックパックを荷台に括り付けてるのを待ってたんだ。
そしたらさ、どこからかデカいスピーカーを積んだピックアップトラックが現れて、道の向かいに停まった。と、同時に、近くの建物から制服姿の子供たちがどわーっと出てきて、路上に整列し始めたんだ。何が始まるんだ?って見てたら、スピーカーから音楽が爆音で流れ出して、子供たちが一斉に踊り出した。もう大騒ぎで、完全に道を塞いじゃってる。あっけにとられて見てたら、近くにいたスキー帽のおっちゃんが俺の顔を見て笑って、「これがアフリカだよ!クレイジーだろ!」って叫んでた。うん、まあ、クレイジーだね。
要するに、西アフリカの辺境国境は忍耐力が試されるアトラクション
正直、こういう緩い光景を見るとちょっと安心する。だって、これから向かうのは、ネットの旅行フォーラムを隅々まで探しても、たった一件しか口コミがないような国境なんだから。国境越えってのは、ただでさえ「本当に通れるのか?」っていう不確実性のストレスが付きまとう。だから、もしダメだった時のプランBを頭の中で必死に組み立ててたわけ。
シエラレオネの北東部の道は、まあ、ひどいもんだった。バイクでもガタガタで不快なんだから、車やバスだったら拷問レベルだったと思う。乾季だったのが唯一の救いだね。雨季のこの辺りは、遅いし、ぬかるむし、時には完全に通行不能になるって有名だから。
コインドゥという町でバイクを乗り換えて、また料金交渉して、朝8時には国境へ向かう土埃の道にいた。ジャングルが消えて、代わりに背の高いエレファントグラスが道の両脇に壁みたいに生い茂ってて、もう空しか見えない。そういえば、イギリスの作家グラハム・グリーンが1935年にこの辺りを通った時の写真で、こんな草のトンネルを歩いてるのがあったな…なんて思い出したりして。彼はもっと南の国境を通ったらしいけど、当時のリベリアの入国管理は、めちゃくちゃイライラさせられて、結局高くついたって書いてた。俺たちはもっとマシだといいんだけどな、なんて考えながら進んでいった。
シエラレオネ出国:遠回しな賄賂と、無言の仕返し?
まずシエラレオネ側のイミグレーションに着いたら、手続きは意外とスムーズに進んだ。小さな部屋に通されて、係官が俺たちのパスポート情報を台帳に書き込んでいく。こういう辺境の国境では、いつもその台帳を盗み見るようにしてるんだ。他にどんな旅行者が通ったのか知りたくてね。見てみたら、俺たちみたいな「外国人」(つまり、シエラレオネ人やリベリア人じゃない旅行者)の最後の記録は5日前。その前は、なんと2週間前。そりゃあネットに情報なんてないわけだ。
係官は、台帳に書き込みながら「我々は君たちに丁寧で協力的だ」みたいなことを言ってくる。もちろん「ありがとうございます」って返すんだけど、パスポートを返してくる時に、また同じことを、今度は俺の目をじっと見て言ってくるわけ。…あ、これはカネをくれってことだな、と。でも、こっちはホコリまみれのおっさんだし、色気もないし。気づかないフリをして、もう一度大げさに感謝を伝えて、さっさとオフィスのドアに向かった。
そしたら、外に出た俺たちの背後から「今から税関がお前たちの荷物をチェックするぞ」って声が飛んできた。さっきの賄賂の誘いを断ったからかな? まあ、しょうがない。別の、もっと広い部屋にバックパックを運んだ。そこには制服を着たエージェントが何人か立ってて、俺がテーブルの上でバックパックを開けるのをじっと見てる。まるで理科の実験でイモムシを解剖するみたいに、ゆっくりとジッパーを開けてみた。
で、俺は椅子にどかっと座って、「時間はたっぷりありますよ」っていう態度を見せた。実際、時間はあったんだけど、税関職員と一日中過ごしたいわけじゃない。この「焦ってません」アピールが、「プロセスを円滑にするためのお金」を払うプレッシャーを感じてないってことを示す方法なんだよね。結局、彼らは数分間、俺の服とか食料とか蚊帳とかをいじくり回した後、興味を失ったみたい。相棒のマイクのバックパックは、チェックもされずにスルーされた。
「もう行っていいぞ」税関のチーフが頷いた。よし、これで半分終わりだ、と心の中で思ったね。
リベリア入国:権威の印は手錠?カオスな現場
国境って、本当に恣意的なものだよな。地理的には何の意味もない、ただの目に見えない壁。でも、そこを通過する時はいつも、何か特別な感覚がある。一つのルールから別のルールへ。一つの言語や政治の雰囲気から、別のものへ。安全な場所から、そうでない場所へ、あるいはその逆へ。
シエラレオネとリベリアの間の「見えない壁」は、またエレファントグラスに囲まれた砂利道だった。すぐに、さっき出てきたのと同じような、小さなセメントブロックの建物が見えてきた。違うのは、ボロボロだけどリベリアの小さな国旗がポールに掲げられていることくらい。
入国管理事務所は…というか、古いテーブルと椅子が2脚あるだけの空間だった。壁には何もないし、そのテーブルの周りに少なくとも7人くらいの男たちが集まって、何やら激しく議論してる。誰が職員なのかさっぱり分からない。誰も制服を着てないんだから。とりあえず一番近くにいた、フェルト帽をかぶったおじいさんにパスポートを差し出してみた。
おじいさんはパスポートを受け取ってパラパラめくり始めたんだけど、すぐに隣にいた若い男にひったくられた。二人は何か言い争ってる。ここで気づいた。ほんの数百メートルの砂利道を進んだだけで、シエラレオネで何となく理解できた英語(パトワ)が、全く理解できない別の種類のリベリア英語に変わってしまったことに。
「ビザがない、ビザがない」若い男が首を振りながらページをめくる。なんだか彼自身も自信なさげだ。
「いや、ビザありますよ」と、俺は優しくパスポートを取り返して、後ろの方のページにある大きなスタンプのページを開いて見せた。彼と、他の二人がそれを覗き込む。その時、気づいたんだ。その若い男だけが、ベルトに手錠をぶら下げていることに。なるほど、これが彼の権威の印らしい。これでようやく、誰が責任者なのかが分かった。
フェルト帽のおじいさんがスタンプを指差して言う。「コナクリって書いてあるぞ。これはギニアのビザだ」
いやいや。「ここに『リベリア共和国大使館』って書いてます」と俺も指差す。周りのみんなにも見えるように広げて見せた。
手錠の若い責任者は、そわそわしてる。どうしていいか分からないんだ。ギニアで発給されたビザを持って、こんな辺鄙な国境に来る外国人が今までいなかったんだろうね。
今度はフェルト帽のおじいさんがまたスタンプを睨んで、「日付が1月28日になってる。今日は2月8日だ。ビザは失効してる」と言い出した。もうめちゃくちゃだ。
「いや、それはビザを取得した日です。ここに、有効期間は36ヶ月って書いてます。もう一度見てください」と俺も粘る。でも、彼は聞く耳を持たない。
埒が明かないから、手錠の若者にパスポートを返した。「このスタンプのどの部分でも説明しますよ。ちゃんと全部書いてありますから。友人のも同じビザなんで、見比べてみますか?」マイクがパスポートを差し出す。俺は、あのおじいさんが年齢からくる敬意を利用して、話をややこしくするんじゃないかと心配だった。
長くて、まとまりのない議論がリベリア英語で続く。俺とマイクは顔を見合わせたけど、言葉を交わす必要はなかった。やることは一つ。禅の境地で、ひたすら待つ。これしかない。
すると、手錠の責任者が立ち上がって、まだ何か言い争いながら、俺たちのパスポートを持って外に出て行ってしまった。一瞬、心臓がヒヤッとした。パスポートを持ち去られるのは一番最悪のパターンだ。
今まで黙っていた別の男に「彼はどこにパスポートを?」と聞いてみた。
「フォヤに電話してる。イミグレーションオフィスに」
「ここがイミグレーションじゃないんですか?スタンプはここで押してもらえないの?」
「うーん…」彼は口ごもる。どうやら複雑な事情があるらしい。「心配するな、通れるから」と彼は笑ってくれた。
「Don't worry, be happy」って付け加えたら、彼は笑って、西アフリカ式のあの握手、指をパチンと鳴らすやつをしてくれた。ここで味方を作っておくのは悪くない。
一体どこで電話してるんだ?と思ったら、彼が指さした。「あの木の下だよ。あそこしか電波がないんだ」。腐敗した役人だと、パスポートを人質に何でも要求してくるから嫌だったけど、どうも今回はそういう感じじゃない。ただ、どう対応していいか分からなくて、ミスを犯すのを恐れているだけみたいだった。
で、結局どっちがどうだったの?国境比較
3時間にわたる国境でのドタバタ劇。結局、パスポートにスタンプを押してもらうために、バイクで国境と30分先の町フォヤを往復する羽目になった。でも、その価値はあったかな。正直、面白い見世物だったよ。そこで、僕の体験を元に、シエラレオネ側とリベリア側の国境を雑に比較してみた。
| 項目 | シエラレオネ側(出国) | リベリア側(入国) |
|---|---|---|
| 雰囲気 | まあまあ整然。一応オフィスっぽい。でも、ちょっとピリピリしてる。 | カオス。誰が役人か不明。村の集会所みたい。でもなぜか敵意はない。 |
| 職員の対応 | プロっぽいけど、目が笑ってない感じ。手続きは知ってる。 | 完全に素人。どうしていいか分かってない。周りに意見を求めまくる。 |
| 手続きのスムーズさ | 台帳記入までは早い。でも、その後に別の「イベント」が発生する可能性あり。 | 最初の段階で完全に停滞。電話での上司への確認が必須。めっちゃ時間かかる。 |
| 賄賂の要求 | 遠回しに言ってくる。「丁寧にしてやっただろ?」みたいな。断ったら荷物チェックで仕返し?うーん、面倒。 | マジでゼロ。むしろ自分たちのミスを恐れてる感じ。こっちがガソリン代出すよって言っても断られたくらい。善意の人たちだった。 |
パスポートを取り上げられたら?想定外の事態で考えること
今回の旅で一番肝が冷えたのは、やっぱりパスポートを持って行かれた瞬間だね。ああいう時、パニックになっても仕方ない。でも、いくつか考えておくべきことがある。
まず、相手の意図を読むこと。今回は、賄賂目当てじゃなくて、純粋に「どう処理していいか分からない」という困惑からだった。これは不幸中の幸い。もし相手が明らかに腐敗していて、金銭を要求する気配なら、対応は全く変わってくる。
日本の外務省が出してる海外安全情報なんかを見ると、シエラレオネもリベリアも「渡航は止めてください。(レベル3)」とか、かなり厳しい勧告が出てる。まあ、当然だよね。でも、現実の現場は、必ずしも危険な人ばかりじゃない。今回みたいに、ただ不慣れなだけの善意の役人だっている。公式情報と現場の空気感のギャップを理解しておくのは大事。
それから、絶対に一人で行動しないこと。今回、僕が検問所に残り、相棒のマイクが役人と一緒にスタンプをもらいに国境まで戻った。こうやって役割分担することで、人質(荷物や自分)を確保しつつ、パスポートの安全も確保できる。これも一つのリスク管理だね。
結局、1時間後、マイクが戻ってきた。彼は疲れていたけど、親指を立ててすべてOKの合図。僕らは無事に入国スタンプをゲットし、自由の身になった。フォヤの町まではまだ数キロあったけど、もうバイクタクシーはいいや、って気分で、歩くことにしたんだ。
その道のりは、まるで甘い勝利のようだった。3時間の国境でのドタバタは、エンターテイメントとして考えれば十分すぎる価値があった。恐ろしくもあり、同時に滑稽でもある。これぞ、旅が作り出してくれる最高の物語だなって思う。
あなたも、こんなハチャメチャな国境越えの経験、ありますか?もしあったら、ぜひコメントで教えてください!
