友達の田舎移住宣言がきっかけで、私も夢のマイホーム改造に踏み切った話
コロナの時期だったかな、確か家にこもってばかりで、何日目だったかはっきり思い出せない。ある日、大学時代の友人たちと近くの公園でピクニックをしたんだ。人との距離も気にしながら、おそらく十人にも満たない集まりだったと思う。その途中で、オリーブやパスタサラダを食べているとき、友達が急に海辺へ引っ越すって言い出したんだよね。それがきっかけというか、その場にいた三〜四人くらいも次々と田舎へ移る話を始めた。みんな家族が増えたりして広い場所を求めていたみたい。
ああいう話を聞いて自分も嬉しかった反面…なんとなく羨ましい気持ちも混じっていた気がする。その後しばらく経つと、スマホには彼女たちから届く新しい住まいの写真とか、緑いっぱいの風景がどんどん増えてきてさ。それでふと、自分の家——昔から好きだけど正直狭かったり暗かったりするところ——どうやったらもっと心地よくできるかな、とぼんやり考えるようになった。大げさじゃなく、多分そういう小さな出来事から全部動き始めた気がする。
ああいう話を聞いて自分も嬉しかった反面…なんとなく羨ましい気持ちも混じっていた気がする。その後しばらく経つと、スマホには彼女たちから届く新しい住まいの写真とか、緑いっぱいの風景がどんどん増えてきてさ。それでふと、自分の家——昔から好きだけど正直狭かったり暗かったりするところ——どうやったらもっと心地よくできるかな、とぼんやり考えるようになった。大げさじゃなく、多分そういう小さな出来事から全部動き始めた気がする。
独身女性の私がたった一人でリノベーションに挑戦するのは無謀だったのか
キッチンを広げて、知り合いや友人とゆったり過ごせるスペースが欲しいというのは、かなり前から頭の片隅にあった気がする。ダイニングルームもね、普段ほとんど使ってなかったし、気づけば単なる廊下みたいになっていた。まあ、大きな課題というか…実は、自分ひとりで全部やらないといけない状況だった。これまで改装なんて手を出したこともなくて、建築とか工事に関して言えばカンカンダンサーぐらいしか自信がない感じ。
一歩踏み出すまでにも、何度も迷った。正直なところ、不安でいっぱいだったし。話し相手や相談できるパートナーもいなくて、アイデアを投げ合ったり判断を確認したりすることさえ出来なかったから。まあ、お金の面でも負担が重く感じた時期はあったかな。「本当に大丈夫なのか?」っていう疑問がちらついていたような…。それに、自分には向いていないんじゃないか、と頭によぎることもしばしば。
実際始めるまで結構時間かかったと思う。「自分だけでこんなこと進めるなんて無謀なのかも」なんて考える夜もそこそこあったし…。
一歩踏み出すまでにも、何度も迷った。正直なところ、不安でいっぱいだったし。話し相手や相談できるパートナーもいなくて、アイデアを投げ合ったり判断を確認したりすることさえ出来なかったから。まあ、お金の面でも負担が重く感じた時期はあったかな。「本当に大丈夫なのか?」っていう疑問がちらついていたような…。それに、自分には向いていないんじゃないか、と頭によぎることもしばしば。
実際始めるまで結構時間かかったと思う。「自分だけでこんなこと進めるなんて無謀なのかも」なんて考える夜もそこそこあったし…。
Comparison Table:
リノベーションの経験 | 自己成長 | デザインの自由 | 時間と労力の価値 | 新たな挑戦への勇気 |
---|---|---|---|---|
一人で取り組むことにより、自分自身の好みを反映させた空間が完成した。 | 内面的な変化があり、過去のトラウマから解放されつつある。 | 他者との妥協なしに、自分だけのスタイルを追求できた。 | プロセスそのものを楽しむことで、新しいアイディアを試す余裕が生まれた。 | リノベーション後、一人旅など新しい挑戦に対する勇気が湧いてきている。 |
過去の自信不足から脱却し、自ら選択する力が増した。 | 家という空間は心にも影響を与えることに気づいた。 | 好きな色やデザインを自由に選ぶ喜びを実感した。 | 失敗や苦労もあったが、それらも成長につながったと感じるようになった。 | 小さな成功体験が大きな自信へとつながる可能性を示唆している。 |
周囲との比較ではなく、自分自身の価値観で判断できるようになった。 | 物理的環境が精神状態に与える影響について深く考えさせられた。 | 料理人として自分流の味付けを追求する感覚と似ているかもしれない。 | 他者依存から自立へ向かう過程で、新しい発見や学びも多かった。 | |
リスクテイキングによって得られる意義について再認識したいと思っている。 |

パートナーがいない不安と、仕事も不安定な中での資金面のプレッシャー
自分のことを振り返ると、整理整頓とか論理的な思考はまあまあ苦手で、どちらかというと創作っぽい作業に手が伸びるタイプなんだよね。たとえばゴミ出しの日も、何度か忘れた気がする。そういう自分が、家づくりみたいなあちこち気を配る必要ある計画や予算管理を、誰にも頼らずに本当にできるものなのか――そんな疑問が頭をよぎったこともあった。
しかも、その頃は短期契約の仕事で食いつないでいて、安定した収入というよりは突然終わってしまう可能性もちょっと高めだった。病気になったら働けなくなるし、有給休暇や病欠の保証も特になかったから、不安定さは否めなかったと思う。風邪なんて引いた日には、その瞬間から収入ストップするんじゃないかな、と心配した時期もあった。
サポートしてくれるパートナーはいなくて、それどころか職場でも将来どうなるかわからない立場。でも、自分には最悪の場合頼れる家族がいるから、本当に追い詰められたら助けてもらえるだろうとは薄々思っていた。ただ、このプロジェクトに関しては、できれば誰の力も借りたくなかったんだよね。「全部自力でやりました」と言いたかった。その想いだけは強かった気がする。
結局細かい部分まで完璧に準備できていたとは言えないけど、自分の夢だから諦めきれなかった。今思えば順番ぐちゃぐちゃで進めてたような…。
しかも、その頃は短期契約の仕事で食いつないでいて、安定した収入というよりは突然終わってしまう可能性もちょっと高めだった。病気になったら働けなくなるし、有給休暇や病欠の保証も特になかったから、不安定さは否めなかったと思う。風邪なんて引いた日には、その瞬間から収入ストップするんじゃないかな、と心配した時期もあった。
サポートしてくれるパートナーはいなくて、それどころか職場でも将来どうなるかわからない立場。でも、自分には最悪の場合頼れる家族がいるから、本当に追い詰められたら助けてもらえるだろうとは薄々思っていた。ただ、このプロジェクトに関しては、できれば誰の力も借りたくなかったんだよね。「全部自力でやりました」と言いたかった。その想いだけは強かった気がする。
結局細かい部分まで完璧に準備できていたとは言えないけど、自分の夢だから諦めきれなかった。今思えば順番ぐちゃぐちゃで進めてたような…。
DIY初心者が必死に勉強して、朝6時から深夜まで働きづめの1年間
正直なところ、最初はまあまあ気が重かった。何だか無茶な話に聞こえた気もする。朝早く起きる生活がしばらく続いたような…六時とか、それよりちょっと遅い日もあったかもしれない。メールの返信やら、塗料のことを調べたり、商品のレビューを漁ったりしていた時間が結構長かったと思う。実際には、家の近所でコーヒー飲みながら仕事の話をした後に、すぐ自宅へ戻って業者さんと会話したり、荷物受け取ったり――そんなことが何度もあった。
週末になると、都内を行ったり来たりしてタイル屋や照明のお店、それからDIYショップにもよく足を運んだ記憶がある。でも正確にどれくらい通ってたかは曖昧で、大体毎週末だった気もするし、一回飛ばした週もあったような…。リノベーション関連のブログを見始めてからというもの、インテリア雑誌にも目を通すようになって、それだけじゃ飽き足らずポッドキャストまで聞いてしまった。
友人や家族にはちょっと迷惑だったかもしれない。決断に詰まると相談してしまうし、小さなトラブルでも話題に出したことは一度や二度じゃなかった。それで結局、自分でも「リフォームばなしばっかりだ」と思う瞬間もあったかな。ただ、その一年くらいは今までとは比べものにならないくらい動いていた気がする。本当に全部覚えているわけじゃないけど…。
週末になると、都内を行ったり来たりしてタイル屋や照明のお店、それからDIYショップにもよく足を運んだ記憶がある。でも正確にどれくらい通ってたかは曖昧で、大体毎週末だった気もするし、一回飛ばした週もあったような…。リノベーション関連のブログを見始めてからというもの、インテリア雑誌にも目を通すようになって、それだけじゃ飽き足らずポッドキャストまで聞いてしまった。
友人や家族にはちょっと迷惑だったかもしれない。決断に詰まると相談してしまうし、小さなトラブルでも話題に出したことは一度や二度じゃなかった。それで結局、自分でも「リフォームばなしばっかりだ」と思う瞬間もあったかな。ただ、その一年くらいは今までとは比べものにならないくらい動いていた気がする。本当に全部覚えているわけじゃないけど…。

工事中のピークカオス!この選択は間違いだったんじゃないかと悩んだ日々
【著者撮影:混乱の絶頂かも、とふと思った瞬間】
ストレス、という言葉がしっくりくる日々だった気がする。いつからこんな感じになったのか、はっきり思い出せないけど……七十日ぐらい前だったかな?まあ、それくらいの頃合いで、電話を持ちながら、「あー、もし誰か隣にいたら、このスマホを渡して『お願い、これちょっとやってもらえる?』って頼みたい」と何度も思ったことがある。
泡風呂とか、そういうリラックス的なものに逃げ込みたくなる時期って、大体こういうタイミングなのかもしれない。いや、実際にはそんな余裕すらなくて――湯船に浸かった記憶はほとんどないけど。ただ、自分だけじゃ手に負えないような感じになることも、ごくたまにあるという話。
ストレス、という言葉がしっくりくる日々だった気がする。いつからこんな感じになったのか、はっきり思い出せないけど……七十日ぐらい前だったかな?まあ、それくらいの頃合いで、電話を持ちながら、「あー、もし誰か隣にいたら、このスマホを渡して『お願い、これちょっとやってもらえる?』って頼みたい」と何度も思ったことがある。
泡風呂とか、そういうリラックス的なものに逃げ込みたくなる時期って、大体こういうタイミングなのかもしれない。いや、実際にはそんな余裕すらなくて――湯船に浸かった記憶はほとんどないけど。ただ、自分だけじゃ手に負えないような感じになることも、ごくたまにあるという話。
ついに完成したマイドリームハウスと、独身だからこそ味わえた設計の楽しさ
寝不足だったり、何かを信じきれなかったり、自分の心もどこか壊れそうになったことが時々あった気がする。でも、いつの間にか全部どうにかなって、秋も深まる頃にはもう新しい部屋で暮らし始めていた。完成した、と言えばいいのだろうか。
それで思い返すと、一人でこのリノベーションに取り組むのは最初ちょっと怖かった。でも結局、誰にも相談せずに部屋を自分好みにできたこと、それが意外と嬉しかったりする。パートナーと一緒に住んでいた家では、お互いの好みが混ざってどっちつかずになった記憶もあるような。なんとなく両方ともフィットしていない感じもあったし。
今はというと、自分だけで決めた空間だからなのか、不思議と愛着みたいなものが湧いてきている。この家について話す時、「好き」と言える部分が増えた気がする。もちろん苦労も多かったけど、そのぶん得るものもあった…ような気もしないでもない。人によっては違う感想になるかもしれないけど、自分としてはこんな経験も悪くなかったと思えている。
それで思い返すと、一人でこのリノベーションに取り組むのは最初ちょっと怖かった。でも結局、誰にも相談せずに部屋を自分好みにできたこと、それが意外と嬉しかったりする。パートナーと一緒に住んでいた家では、お互いの好みが混ざってどっちつかずになった記憶もあるような。なんとなく両方ともフィットしていない感じもあったし。
今はというと、自分だけで決めた空間だからなのか、不思議と愛着みたいなものが湧いてきている。この家について話す時、「好き」と言える部分が増えた気がする。もちろん苦労も多かったけど、そのぶん得るものもあった…ような気もしないでもない。人によっては違う感想になるかもしれないけど、自分としてはこんな経験も悪くなかったと思えている。

過去の同棲時代とは違う、全て自分好みに仕上げたキッチンとダイニングルーム
なぜか服装の組み合わせみたいに、ちょっとした違和感があったような気もする。どちらかというと、二つのやり方がまじり合っていて、まとまりきらなかった感じだったかな。今回は自分でハンドルを握ったわけで、誰かと好みを合わせたり、「私たちらしさ」っていう曖昧なものに配慮する必要もなくて。だから選ぶ色とか手ざわりとか、細かいデザインまで、自分が好きだと思う方向へ遠慮せず進めたんだと思う。たぶん料理人が自分だけの味付けを少しずつ調整する時の気分にも似てるかな。
【筆者自身撮影】新しいキッチンとダイニングルーム
実際、一人だと何もかも時間は結構かかった。でも、それが悪いことでもないというか…。時間を惜しまないことで、その過程そのものが楽しみになったし、ふとした時に思いついたアイディアを試す余裕もあったから、結果的には良かったような?今好きになっている部屋っていうのは、多分一番時間や頭を使った場所なんじゃないかな、と最近思う。最終的にできた空間は、そうだね、自分なりに考えた「楽しい家」のイメージという感じ。あくまで自分流…温かくて包まれるようで、人や動物にもまあ居心地よさそうかな、とぼんやり考えてる。
【筆者自身撮影】新しいキッチンとダイニングルーム
実際、一人だと何もかも時間は結構かかった。でも、それが悪いことでもないというか…。時間を惜しまないことで、その過程そのものが楽しみになったし、ふとした時に思いついたアイディアを試す余裕もあったから、結果的には良かったような?今好きになっている部屋っていうのは、多分一番時間や頭を使った場所なんじゃないかな、と最近思う。最終的にできた空間は、そうだね、自分なりに考えた「楽しい家」のイメージという感じ。あくまで自分流…温かくて包まれるようで、人や動物にもまあ居心地よさそうかな、とぼんやり考えてる。
母から受け継いだ「自信のなさ」を、このプロジェクトで乗り越えた瞬間
引っ越しをしてから、なんだか自分の中でもちょっとした変化があった気がする。部屋の模様替えとかももちろんあるけど、それよりも内面の方が意外と大きかったかもしれない。後悔というほど強くはないけれど、もう少し早くこの一歩を踏み出せていたら…と、ときどき思うこともある。
母親は昔からよく、「私はわからないから、お父さんに聞いて」と言っていたような記憶がある。たぶん母だけじゃなく、似たような環境で育った女性にはこういう傾向がちらほら見受けられる。実際、母自身はかなり色々できる人なんだけど、自信なさげに振る舞うことが多かった。
子供の頃、自分もそういう空気を知らず知らず吸い込んでいたみたいで、何か苦手なことや新しいこととなると、だいたい男性に頼りがちになってしまった。自然とそうなるものなのか、それとも家族や周囲の影響なのか、今となっては定かではない。ただ、一度誰かに「それちょっと迷惑だったよ」と言われたことだけは妙にはっきり覚えている。
ちなみに、『恐れながらやってみる』という本を書いたスーザン・ジェファーズも、結婚生活の中で似たような自己疑念に悩まされた経験について触れているそうだ。内容全部を正確に覚えているわけじゃないけど、彼女の場合も何割か同じ気持ちだったんじゃないかなと思う。
時系列としては前後するけれど、この辺の話題になるとつい別のエピソードを思い出してしまう。でもまあ、大雑把にはそんな感じだったと思う。
母親は昔からよく、「私はわからないから、お父さんに聞いて」と言っていたような記憶がある。たぶん母だけじゃなく、似たような環境で育った女性にはこういう傾向がちらほら見受けられる。実際、母自身はかなり色々できる人なんだけど、自信なさげに振る舞うことが多かった。
子供の頃、自分もそういう空気を知らず知らず吸い込んでいたみたいで、何か苦手なことや新しいこととなると、だいたい男性に頼りがちになってしまった。自然とそうなるものなのか、それとも家族や周囲の影響なのか、今となっては定かではない。ただ、一度誰かに「それちょっと迷惑だったよ」と言われたことだけは妙にはっきり覚えている。
ちなみに、『恐れながらやってみる』という本を書いたスーザン・ジェファーズも、結婚生活の中で似たような自己疑念に悩まされた経験について触れているそうだ。内容全部を正確に覚えているわけじゃないけど、彼女の場合も何割か同じ気持ちだったんじゃないかなと思う。
時系列としては前後するけれど、この辺の話題になるとつい別のエピソードを思い出してしまう。でもまあ、大雑把にはそんな感じだったと思う。

リノベーションを通して気づいた、自分が成長したことと新たな目標
離婚した後、彼女は一人暮らしの女性として生きることにずっと不安を感じていたみたい。でも、日が経つにつれて、その気持ちは少しずつ変わっていったとか。自分でいろんなことをやってみた結果、だんだんと新しい自信が芽生えてきたような感覚を覚えたそうだ。彼女の本には、「自分自身で物事に取り組むことで、自己信頼というちょっとした甘さを味わうようになった」と書かれている部分もあった気がする。
それで、この挑戦が私にも似た感触をもたらしてくれた。努力したり粘ったり、まあ色々考え方とか工夫しながら進めていけば、今まで想像すらできなかったことでも意外とできるものなんじゃないか、と最近思うことがある。そのおかげで、昔から心のどこかでやってみたかったけど怖くて踏み出せなかった目標にも目を向ける勇気が少し湧いてきたり。
例えば、一人旅。前からぼんやり憧れていたけど…どうしても一歩踏み出せなくて。今年こそは、と計画している最中だ。いつもと違う空間に身を置いて、新しい出会いや経験――普段だったら絶対縁のなかった出来事にも巡り合えるかもしれない。それって結構ワクワクする話だと思う。
もっと大胆に、そして以前よりほんの少しだけでも勇敢になれたらいいなぁ、と時々考えている。でも実際どうなるかは、その時になってみないと正直わからないところも多いかな。
それで、この挑戦が私にも似た感触をもたらしてくれた。努力したり粘ったり、まあ色々考え方とか工夫しながら進めていけば、今まで想像すらできなかったことでも意外とできるものなんじゃないか、と最近思うことがある。そのおかげで、昔から心のどこかでやってみたかったけど怖くて踏み出せなかった目標にも目を向ける勇気が少し湧いてきたり。
例えば、一人旅。前からぼんやり憧れていたけど…どうしても一歩踏み出せなくて。今年こそは、と計画している最中だ。いつもと違う空間に身を置いて、新しい出会いや経験――普段だったら絶対縁のなかった出来事にも巡り合えるかもしれない。それって結構ワクワクする話だと思う。
もっと大胆に、そして以前よりほんの少しだけでも勇敢になれたらいいなぁ、と時々考えている。でも実際どうなるかは、その時になってみないと正直わからないところも多いかな。
家を変えることで自分も変わった - これからはもっと大胆に生きていく決意
なんとなく、家を変えようと思ったのは、たぶん去年とか、それより少し前だった気がする。七十日以上かかったわけじゃないけど、まあまあ時間も手間もかかった。でも実際に手をつけてみると、不思議と自分自身にも何か変化があったような…。家の模様替えが目的だったはずなのに、どういうわけか、自分の中身までちょっとだけ強くなった感じかな。 こんなふうにリスクを取ることが良い方向に働く場合もあるんだろうって、最近になってやっと気づいたところ。とはいえ、その「成長」って本当にそうだったのか、今でも時々疑問に思うこともあるし、人によっては大したことじゃないと思うかもしれない。ただ、自分では、それなりに意味があった経験だったんじゃないかな、とぼんやり感じているだけ。