筆者は近年、捕食される側(獲物)のような脆弱さを感じ、恐れているのは動物ではなく「トランプ政権が解き放った力」だと述べている。
逃げ道の地図を頭の中で何度も描いてしまう。実際に走るわけじゃない。けれど「ここなら隠れられるかも」という発想が、いつの間にか生活の下地に居座る。静かに。しつこく。
子どもの頃に刻まれた「隠れ場所」への憧れ
筆者は子どもの頃、回想録『The Upstairs Room』に強い影響を受けたと書いている。
The Upstairs Roomは、Anne Frankの日記と同じく、隠れながら生き延びた若いユダヤ人の少女の「実話」を語る本として位置づけられる。そして著者Johanna Reissは「今も存命」だ、と。ここ、妙に大事。物語じゃなくて、生き残った人の記録だという感触が残るから。
Johanna Reissと姉は、World War IIの多くの時間を、Dutch farm familyの家で身を潜めて過ごした。Nazisが家を捜索したとき、彼女たちは偽の壁の裏にあるクローゼットに隠れ、ある時点では地下の小部屋にも身を潜めた。こういう「仕掛けのある避難場所」の描写が、筆者の中に長く残った、という流れだ。
それ以来、秘密の避難所がほしいという欲求が消えない。理屈の話というより、身体が覚えてしまった感じ。…いや、身体って言うと大げさか。けど、そんな感じ。
いまの恐怖は、動物ではなく政治が放つ力に向いている
筆者は、近ごろ自分が極度に無防備だと感じ、恐れているのは鷹や狐ではなく「トランプ政権が解き放った力」だと述べる。
小さなウサギみたいに、捕食者がどこにでもいるのが分かっている状態。比喩は強いけど、筆者はその強さのまま置いている。怖い対象は「自然」じゃない。政治だ、と言い切っている。
そしてRussiaがUkraineに侵攻したとき、筆者は「World War IIIが始まった」と言った、と書く。ここは主観としての過去発言。事実断定じゃない。けれど、その後に続く見出し(Iran、Israel、Russia、Ukraine、China、Taiwanなど)を「どう読んでも恐怖を感じずにいられるだろうか」と問う調子から、筆者の胸のざわつきがそのまま伝わってくる。
怖い、という感情はニュースの量に比例しない。むしろ、ひとつひとつが別の方向から迫ってくる感じがあると、逃げ道が消える。息が詰まる。で、また「隠れ場所」に戻る。ぐるぐる。
「米国は道徳的中心ではない」という評価と、その理由の提示
筆者は、過去の世界大戦期と異なりUnited Statesはもはや道徳的中心の一部ではないと評価し、移民の拘束や弱者の標的化、権威主義(authoritarianism)の採用が進んでいると主張する。
さらに、大統領はPutinを好む、と筆者は述べ、そのことを多くの米国人が肩をすくめて受け流しているように見える、と驚きを書く。ここも「観察」と「感情」の混ざり方が特徴的で、断定の度合いを上げる方向には行かない。驚いている、という形で置いている。
そして一言、「Apparently, Russia eventually won the Cold War.」――冷戦(Cold War)に結局ロシアが勝ったのだろう、という見方(推測/評価)。説明を積み上げるというより、皮肉と疲労が混ざった短い矢印みたいな文だ。刺さる人には刺さる。刺さらない人には荒い。たぶん、それも込みで。
安全な立場にいる自覚と、それでも消えない「隠れたい」感覚
筆者は自分を「白人の中西部の女性」と位置づけ、他者より安全だと自覚しつつ、それでも秘密の場所に隠れたい衝動があると書く。
ここ、逃げない。自分は「より安全な側」だと認めた上で、それでも恐怖がある、と言う。だから話が厄介になる。安全なら恐怖はゼロ、とはならない。逆に恐怖があるなら危険度は同じ、でもない。人間の感情ってそういうところがある。
筆者はさらにCormac McCarthyの『The Road』を引く。あの作品で、男と少年が捨てられたバンカー(The Road (abandoned bunker scene))を見つけ、凍えと飢えから短い休息を得る場面。それが自分の中に残り続けている、と。短い休息、という言い方がもう…ね。永続的な解決じゃなく、数日の猶予みたいなものとしての「避難所」だ。
「普通の安全」の崩壊と、制度への不信が生む疲弊
筆者は、秘密の部屋や地下バンカーへの憧れは比喩的で現実の解決策ではない一方、制度への不信が人々の疲弊やパニック、感情的離脱を招いていると述べる。
筆者が欲しいのは、秘密の避難所そのものではない。「普通の生活」が、逃走経路を夢見なくて済む程度に安定している社会。ここで初めて、避難所の話が「社会の設計」の話に切り替わる。
ただし、秘密の部屋や地下壕は答えではない、と言いながらも、そういうものを欲しがる人が自分だけではない、と続ける。高級住宅のpanic rooms、そしてbillionaire bunkers。存在自体が「恐怖」と「不信」の証拠だ、という置き方だ。
制度を信じられない → みんな疲れる、パニックになる、感情のスイッチを切る。そういう連鎖。で、その先が二手に分かれる、と筆者は見る。隠れたい人もいれば、全部燃やしてしまいたい幻想に向かう人もいる。どっちも「信じられなさ」から生えてくる、という感触がある。
そして、ここで釘を刺す。「隠れる」ことが答えではない。役に立たない。勇気が必要だ。私たちは実際には無力な獲物ではない。抵抗する能力はまだある。行動喚起は強いけれど、根っこは絶望の描写とセットになっている。軽いスローガンじゃない。
なぜ多くの人が「チェックアウト」するのか
筆者は、多くの米国人がニュースを絶望的で消耗すると感じ、現実から心理的に離脱していると観察している。
「ほとんどの人は、トランプが何者かを理解している。彼に投票した人の多くも含めて。」この前置きがある。つまり、無知だから支持している、と単純化はしていない。
一方で、一定数(some core number)の米国人は、たとえホワイトハウスの敷地に金メッキの火葬炉を建てたとしても支持するだろう、と筆者は過激な仮定で表現する。これはレトリックで、数字を示す話ではない。だけど筆者の「底が抜けた感覚」を示すには、こういう言い方になる。
で、問題は「多くの人は離脱する」という方。ニュースは希望がなくて疲れる。だからグミを摂って、ショーを延々と見て、考えないようにする。ここは生活描写が具体的で、逆に痛い。誰かを責めてるようで、責め切れていない感じもある。「私たちは何をすればいいのか分からない」——そう書く。
デモに行く人もいる。投票もする。庭にサインも立てる。主に年配の人(mostly older people)。でも「世界を救っているわけではない」と自分で言ってしまう。効く。効くけど、そこで終わらない。筆者は「それ以外に何ができるのか分からない」とも書く。詰まり方の描写だ。
最も危ういのは、暴力の「幻想」が日常語になること
筆者が最も警戒するのは暴力そのもの以上に、政治的暴力の幻想が常態化し、民主的プロセスが守ってくれないという不信から暴力がロマン化される点だと述べる。
ここで筆者は、暗さの質が変わったと言う。暴力が起きることだけが怖いのではなく、暴力を語ることが「普通」になっていることが怖い。以前なら恐怖したはずの人が、今は政治的流血を軽く口にする。理由は、普通の民主的プロセスが自分たちを守ってくれると信じられないからだ、という因果の主張が置かれる。
筆者は、最近見た動画の話もする。保存しておらず、名前も覚えていない女性が、権力に対する暴力を支持していたという。彼女は「今公衆に対して行われていることが暴力に当たるのだから、私たちは自衛しているだけだ」と信じている、と。ここは特定不能で、筆者もそれを認めたまま書く。断定材料にはしない、という扱い。
固有名詞も出てくる。Luigi Mangioneはほとんど民間伝承的な英雄(folk hero)だ、と筆者は言う。同様に、Kimberly Clark warehouseに放火したとされる人物(allegedly)も。さらに、大統領に対する暗殺未遂があったとされる(allegedly)が、多くの人が真偽を疑っている(a lot of people question the veracity)。留保は留保のまま。ここ、崩しちゃだめな部分。
French revolutionを肯定的に語るのも珍しくない、とも書く。ギロチンのイヤリング(Guillotine earrings, anyone?)という一言で、空気の軽さと不穏さを同時に出す。軽いのに重い。変な矛盾だけど、そこが怖いという話だ。
人々が安全で、代表され、声が届いていると感じている社会は、政治暴力のロマン化にここまで近づかない。筆者はそう言う。逆に言えば、今はそこが欠けている、という評価になる。
「普通に戻る」では足りない——2015ではなく変革
筆者は、midtermsでDemocratsがトランプを任期後半で無力化する希望を持ちつつ、2015年への回帰ではなく社会の変革を望んでいる。
希望は捨てていない。「中間選挙(midterms)で民主党(Democrats)がトランプを任期後半で無力化(neuter)できること」を望むし、次回は米国人がより良い選択をすることも望む。ここは希望的観測として書かれている。断言じゃない。
でも、戻りたいのは「2015」ではない、と言う。変革がほしい。ここから提案が並ぶ。筆者が求めるのは、民主主義の再生、universal healthcare、affordable educationとchildcare。unionsの強化。Citizens Unitedを覆すこと。根拠なきcitizen surveillanceを終わらせること。
外交・国際協調の方向も明確だ。民主的同盟国との関係修復。World Health Organizationへの再加盟。NATOへのコミットメントを再確認。さらに、秩序あるimmigrant worker programを作り、path to citizenshipを提供すること。tax billionairesを「重く」行うこと(heavily)。
こういう箇条書きは、読む側の好みで「現実的かどうか」が先に立ちがちなんだけど、筆者が言いたいのは別の角度だと思う。つまり、「難しい」「論争的だ」を理由に何もしない空気への拒否。そこ。
「できない」と言わない——制度は壊されたのだから、再建もできる
筆者は「できない」という言い訳を拒否し、恐怖と不安定が長期化すれば社会が壊れるため、制度を再建して普通の生活の安全を取り戻す必要があると主張する。
筆者は、トランプが制度や規範、システムを引き裂くのを許してきた、と書く。かつて「触れられない」と言われたものが崩されていったのに止められなかった、という感覚だ。さらに「彼は文字通りホワイトハウス(White House)の一部を取り壊した(He literally tore down part of the White House)そして誰も止めなかった」と書くが、ここは比喩/事実の境界が読み手によって揺れうる。原文がそういう調子で書いている以上、日本語でも断定度を上げず、筆者の言い回しとして保持するのが筋だ。
Supreme Courtについては、制御不能な子どもに甘い親のように振る舞っている、と筆者は批判する。比喩で押し切る。丁寧な法理の説明はしない。ここはエッセイだ。
だから「何もできない」と言うな、と筆者は言う。できる。最終的に、生き延びるために必要だ、と。強い言葉だけど、筆者にとっては誇張ではなく、危機感の言語化なんだろう。
人は、恐怖と不安定の状態で永遠には生きられない。いずれ壊れる。社会も、個人も。だから、普通の生活が再び安全に感じられる社会を再建しよう——そうすれば、私たちはもう少し「獲物」のように感じずに済むかもしれない。結語はそこに着地する。
補足:本文の後に置かれていた著者情報と告知について
原文には、Michelle Teheuxがcentral Illinoisの作家であること、Substackの『Untrickled』と『The Indie Author』を運営していること、著書『Strapped: Fighting for the soul of the American working class』と小説『The Trailer Park Rules』、そしてKo-fi(https://ko-fi.com/michelleteheux)で支援を受け付けている旨が続く。
エッセイ本文の流れとしては急に切り替わるが、ページ内の構成要素としては「作者紹介・販促」である、と切り分けて読むのが自然だ。内容自体は原文の一部なので残す。ただ、ここから先はエッセイの論旨ではなく告知の領域になる。
そして引用めいた一文もある。「All wealthy families are alike; each poor family is poor in its own way. — Leo Tolstoy, if he had written about a trailer park」——Leo Tolstoyを借りたパロディの形で、『The Trailer Park Rules』の世界に読者を誘導する。
『The Trailer Park Rules』については、Loire Mobile Home Parkの住人たちの紹介とあらすじが続く。生き延びるには、守るべきルールと破るべきルールを理解する必要がある、という導入。登場人物として、Jonesy、Angel、Angelの娘Maya、JimmyとJaniece Jackson、Darren、Kaitlin、Shirley、そして管理者としてNancyが挙げられる。
新しい所有者が敷地の家賃(lot rent)を引き上げたことで、住人全員の生活が大きく動き、場合によっては悲劇的に変化する、と説明される。最後に「Welcome to the Loire Mobile Home Park! Please observe all rules.」そして「Click to get your copy」という購入導線が置かれている。
