デジタル時代の「故郷」についての考察
今週、たまたま「Heimat」という言葉について考える機会があった。ネット関係の仕事をしている人には意外と響くテーマかもしれない。何年か前だったか、グリメ研究所のイベントで司会をしたことがあって、その時「新しい故郷はインターネット?」みたいな話題で盛り上がった記憶がある。フランク・ヨングという人物のポッドキャストも印象的だった。ドイツ育ちだけどルーツが海外にある人たちと雑談する感じで、「半分カトッフェル」という不思議な呼び方が妙に耳に残る。統計とかでは見えない、それぞれの“居場所感”みたいなのが少しずつ見えてきて、政治家たちの議論とはだいぶ距離を感じたりもした。自分でもまさかこのジャンルに興味持つとは思わなかったくらい、話を聞いてると毎回微妙に新しい発見があるような気もする。ただ、全部理解できてる自信は正直まだなくて、多層的というか、人によって意味合いもかなり違うらしい。
本段の参照元: https://www.danielfiene.com/archive/2018/12/02/heimatgefuhle/
日本におけるインターネットとコミュニティの可能性
なんとなく記憶が曖昧だが、話題になり始めたのは数年前だった気がする。テレビやネットで見かけることも増えてきたそうで、でもその実態については意外と知られていないという声もあった。あるニュースサイトによれば、七十人に一人くらいの割合で関わっているらしいとの推測も流れていたような気がするけど、これは正確なデータというより現場感覚っぽい。実際には地域ごとに差がありそうだし、その数字も年によって上下しているみたいだ。専門家の間でも「断定できない部分が多い」と言われており、それぞれ違う視点から語られることも少なくないとか。
