企業が消費者から密かに利益を得る5つの手法:価格戦略と心理トリックの実態

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最近、ふと思ったんだよね…。なんか、世の中のいろんなものが、気づかないうちに有料になってるなって。いや、有料っていうか…なんて言うのかな、昔は当たり前にサービスに含まれてたものが、一つ一つ切り離されて、別料金になってる感じ。

この前、家でプリンターを使おうとした時のこと。まあ、そんなに高いモデルじゃないんだけど、急ぎで書類を印刷したかった。そしたら、エラーが出て。インクカートリッジが正規品じゃないから認識できないって。もうね、ほんと、そういうことじゃないだろって…。インクはまだ残ってるのに、純正品じゃないと動かさないっていうのは、なんか…人質に取られてる気分になる。

結局、その書類はコンビニで印刷したんだけど。その時に、ああ、まただって思った。こういう小さな関所みたいなものが、生活のあちこちに、いつの間にか設置されてるんだなって。

一言でいうと、これ。

結局のところ、僕たちは「モノ」そのものを買ってるんじゃなくて、「それを使う許可」にお金を払わされてるだけ、ってことなんだと思う。所有権じゃなくて、サブスクっていう名の利用権。この感覚のズレが、たぶん、一番気持ち悪いところなんだ。

いつの間にか「所有」から「利用料」に変わってたもの

昔はさ、ソフトウェアを買ったら、それはもう自分のものだった。CD-ROMとかがあって、新しいPCに入れても、何回でもインストールできた。もちろん、ライセンスキーはあったけど、一度払えば終わり、っていう安心感があった。

でも今はどうだろう。数年前に買い切りで買ったはずのソフトが、PCを新しくしたら「ライセンスの有効期限が切れてます」とか言われて。で、新しい月額プランに登録してください、と。…え、なんで?ってなるよね。僕が買ったのは、そのソフトを使う「権利」そのものじゃなかったの?って。

写真編集ソフトから、スマホの電話番号表示機能まで、気づけば全部が月額、年額…。まるで、永続的に税金を納めてるみたいな感覚。これはもう、信頼関係の問題だと思うんだよな。

プリンターのエラー表示に静かに苛立つ様子
プリンターのエラー表示に静かに苛立つ様子

自動車の世界も、なかなかすごいことになってる。友人が見せてくれたんだけど、新しい車のスマホアプリ。遠隔でエンジンをかけられる機能があるんだけど、それに月額料金がかかるんだって。

いやいや、待ってくれと。その機能を実現するためのハードウェアは、もう車に組み込まれてるわけでしょ。ソフトウェアも開発済み。車体価格も、当然、それを織り込んで払ってるはず。なのに、なんで自分がすでに所有してるはずの車の機能を使うために、毎月お金を払わなきゃいけないのか。

これ、技術革新じゃなくて、ただの二重取りじゃないかな…。

ゲーム機も同じだよね。家でインターネット回線の契約をして、毎月お金を払ってる。遊びたいゲームソフトも、ちゃんとお金を払って買ってる。なのに、そのゲームでオンライン対戦をするためには、さらにゲーム会社のプラットフォーム利用料を払わなきゃいけない。自分で払ってるインターネットを使うために、また別のお金を払うって…この構造、冷静に考えると、やっぱりおかしいよ。

昔は無料だったのに…地味に課金されるようになったこと

もっと日常的なレベルでも、こういう「見えない値上げ」みたいなのはたくさんある。アメリカに住んでる友人から聞いた話だと、ガソリンスタンドでタイヤに空気を入れるのにも、最近は小銭やカードが必要なことが多いらしい。日本ではまだ、セルフのスタンドなら大体無料だから、ちょっと信じられない感覚だけど。

でも、日本にだって似たようなものはある。正直、僕が真っ先に思い浮かべたのは、居酒屋の「お通し」だったりする。席料みたいなものだって言われるけど、頼んでもいない料理が自動的に出てきて、会計に含まれてる。消費者庁とか国民生活センターにも、これに関する相談って昔からあるみたいだしね。断れる店もあるらしいけど、基本的には文化として根付いちゃってる。払うのが当たり前、みたいな。

こういう、一つ一つは少額なんだけど、「え、これも?」ってなる瞬間の積み重ね。下の表みたいな感じで、気づけば色々変わってる。

昔と今の「当たり前」の変化
項目 昔の感覚(含まれてたもの) 今の感覚(別料金のもの)
ファストフードのソース 「ケチャップ多めにください」「はいどうぞ」…まあ、常識の範囲内でね。 ソース1個追加で50円です。…いや、そのソース原価いくらなのよ、って思っちゃう。
レストランのパン 食事の前に出てくる無料のパンかご。あれ、地味に嬉しいんだよね。おもてなし、みたいな。 「パンはいかがですか? アペタイザーで700円になります」。…ああ、そういう感じね、ってなる。
支払い手数料 請求書が来たら、それで払う。それだけ。 「オンラインで支払うための手数料」「便利なサービス料」…え、払うためにお金払うの?
お店のミネラルウォーター カフェで「お水もらえますか?」って言ったら普通に出てきた。 あからさまに嫌な顔されたり、「ボトルウォーターならありますけど?」って言われたり。…なんか、頼むのが申し訳なくなる雰囲気。

特に腹立たしいのが、ソースの追加料金みたいな、あのセコさ。もう1500円近くするセットを頼んでるのに、マスタードの小袋一つが50円? 金額の問題じゃないんだよ。その了見の狭さ、というか…。もうちょっと気持ちよく払わせてくれよ、って思う。

「広告を見ないため」に払ってるのに、広告が出てくる矛盾

動画配信サービスも、最初は夢のようだった。Huluとか、昔は広告を見れば無料で見れるサイトだった記憶がある。契約はシンプルだった。広告を見るか、お金を払って広告を消すか。

でも今は、お金を払ってるのに広告を見せられる。一番高い「広告なし」プランに入ってるのに、そのサービスが作ってる他の番組の宣伝が、普通に本編の前に流れる。

これについて問い合わせたら、「あれは広告ではなく、プロモーションの機会です」みたいな返事が来たことがある。言葉遊びでごまかそうとする、その姿勢がもうね…。

僕たちは、快適な時間を買うためにお金を払ってるはずなのに。いつの間にか、「企業の宣伝機会」を買わされてる。これは本当に巧妙なすり替えだと思う。

たくさんの小さな手がお財布からコインを抜き取っていくイメージ
たくさんの小さな手がお財布からコインを抜き取っていくイメージ

じゃあ、どうすればいいのか? 小さな抵抗の話

じゃあ、もうなすがままに搾取され続けるしかないのか? …って考えると、すごく暗い気持ちになる。でも、全部を諦める必要もないんじゃないか、と最近は思うようにしてる。

なんていうか、ささやかな抵抗。一つ一つは小さいけど、「僕はそっちの世界には投票しないよ」っていう意思表示。

例えば、こういうこと。

  • 月額制のソフトじゃなくて、オープンソースのフリーソフトを探して使ってみる。GIMPとかInkscapeとか、探せばすごい高機能なものが無料であるし。
  • 家でプリンターを使うのをやめて、急ぎの印刷は図書館とか、今はコンビニのネットプリントでやる。その方が結果的に安かったりする。
  • 広告なしプランなのに広告を見せてくるサービスは、もう更新しない。
  • 外出するときは、自分で水筒を持っていく。
  • 地域のクラフトフェアとかで、入場料を取るようになったところには、ちょっと考える。あれって、コミュニティの場じゃなかったっけ? お金を払って、さらにお金を使う場所に入るっていうのが、なんか違う気がして。

こういうのって、ケチってるとか、そういう話じゃなくて。自分がどんな経済に参加したいかの選択なんだと思う。本当の技術革新や品質向上で価値を生み出す企業を応援したい。作られた希少性や、わざとらしい障害で儲けようとするところじゃなくて。

自分の水筒に水を入れる、ささやかで肯定的な行動
自分の水筒に水を入れる、ささやかで肯定的な行動

これって、ただの怒りじゃないんだと思う

こういう不満って、単なる個人的なイライラじゃない気がする。もっと大きな話で…。

あらゆる人間のやり取りから、最大限の価値を、最小の単位で抽出しようと、すごく意図的に設計された世界に対する、まっとうな反発なんじゃないかな。

僕らは「何も含まれていない世界」に住むように教えられてる。どんなアクションにも、マイクロトランザクションが付随する世界。これはもう、インクや空気やソースの話じゃない。人間の主体性の話なんだ。

自分が「価値を抽出されるモノ」としてじゃなくて、ちゃんと「経済に参加している主体」として扱われているか、という感覚。その尊重があるかどうか。

この怒りは、不合理なものじゃない。むしろ、僕らがそのシステムの中で存在するための対価を払えと要求されることに対する、唯一の合理的な反応なんじゃないかな、なんて…。まあ、ちょっと大げさかもしれないけど、時々そんなことを考えてる。

あなたが最近経験した、「え、これもお金取るの?」って思った一番理不尽な課金って何ですか? よかったらコメントで教えてください。

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