失敗経験から学ぶ自分自身との向き合い方と変化のヒント

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「やらかした自分」とうまく同居するって、だいたいこんな感じ

ざっくり結論:自分の「ダメなところ」って、倒す敵じゃなくて、同居していく相方みたいなものだな、とだんだん思うようになった。

完璧になろうとしてボロボロになるより、「あーまた出たね、私の悪いクセ。で、今回は何を教えたいわけ?」って、ちょっと距離を置いて眺められるようになると、人生が少しだけラクになる。

失敗も、短所も、黒歴史っぽい選択も、まとめてぜんぶ「My bad」。それを丸ごと抱えたまま進むしかないし、むしろそれ込みで性格が立体になっていく。

昔は「悪い自分」を隠そうとしてたけど、今は同じテーブルに座らせるイメージに近い。
昔は「悪い自分」を隠そうとしてたけど、今は同じテーブルに座らせるイメージに近い。

「いい子=ミスしない」と思ってた頃の話

子どもの頃の勘違い:「いい人」「ちゃんとした人」って、失敗しない人だと思い込んでいた。

宿題忘れない、人を怒らせない、空気読む、期待に応える。そういうのを全部そつなくこなすのが「正解」だと思って、ルール本みたいなのを勝手に自分の中に作っていた感じ。

でも、どれだけ気をつけていても、やっぱりやらかす。

  • タイミング最悪なときにキレる
  • 締切を微妙にすっぽかす
  • 言わなくていい一言をうっかり言ってしまう

そのたびに、「今の行動がダメだった」じゃなくて「自分という人間がダメなんだ」ってところまで一気に飛んでしまう。

そうなると、自分の「悪い部分」は、ただの行動じゃなくて、「見られたら終わる真っ黒な部分」みたいに感じて、必死で隠すモードに入る。

逃げても結局、ついてくるのが「自分の悪さ」

ある程度までしか逃げられない:どこまで行っても、自分の性格と同じ体に入ってるから、完全には置いてこられない。

それである時ふと、「そもそも『悪い』って何?」ってところが、ちょっとだけ揺らぐ。

犯罪レベルの話じゃなくて、ここで言ってる「bad」はもっと生活レベルのやつ。

  • すぐ不安になる
  • 防御的になる
  • 考えすぎて動けなくなる

それ自体が「人格のすべて」ではないけど、放っておくと、自分の行動や人間関係をじわじわ邪魔してくる。

「あ、またこのパターンだな」と気づき始めると、ちょっと景色が変わる。

よく出てくるパターン:

  • 小さな一言を、ずっと頭の中でリピート再生してしまう
  • ケンカや対立の空気になると、思考が一気にシャットダウンする
  • 誤解されるのが怖くて、本音の話を避ける

これらが「悪」っていうより、「今の自分を狭くしているクセ」に近いなと感じるようになっていく。

力ずくで矯正しようとして、余計しんどくなるやつ

よくある自己改革モード:一度「このままじゃダメだ」と思うと、人はだいたい極端に振れる。

  • 自己啓発本を読み漁る
  • 「もう二度と○○しない」と謎の誓いを立てる
  • 毎日アファメーションして、自分に言い聞かせる

これ、一瞬は効いた気になるけど、だんだん疲れてくる。筋トレをいきなり毎日2時間やる、みたいな感じで続かない。

自分の「bad」を敵とみなして、ひたすら殴り続けるスタイルだと、殴っている側の自分も一緒に消耗していく。

「直す」より先に、「なぜそうなってるか」を知らないと、多分どこかで同じところをぐるぐる回る。

そこで方向転換が必要になる。「戦う」のをやめて、「話を聞く」に切り替える感じ。

ノートを開いて、自分の「悪さ」にインタビューしてみた

書き出すと見えてくる:頭の中だけで考えていると、感情と事実がぐちゃぐちゃになる。

ノートやアプリでもいいから、とりあえず書き始めると、ちょっとだけ冷静になることがある。

たとえば、こんな問いを自分に投げてみる:

  • なんで、ちょっと注意されただけであんなにイラッとしたんだろう?
  • 本当はやりたいのに、なんでギリギリまで先延ばしするんだろう?
  • どうして弱音を見せるのが、こんなに怖いんだろう?

こういう質問を何回も繰り返していくと、「その反応が初めて出てきたときの記憶」みたいなものが、ふっと出てくることがある。

昔の家庭の空気だったり、学校での経験だったり、「あのときああ言われてから、こういう場面が苦手になったのかもな」とか。

頭の中でぐるぐるしているときより、ノートを開いたときの方が、意外と冷静になれたりする。
頭の中でぐるぐるしているときより、ノートを開いたときの方が、意外と冷静になれたりする。

「悪いところ」の正体:よく見ていくと、それは怪物というより「放置されていた、傷ついた部分」に近いことが多い。

  • 怒り:ただの「キレやすい性格」じゃなくて、「軽く扱われるのが怖い」「無力感が嫌だ」というサイン
  • 先延ばし:怠けじゃなくて、「ちゃんとやっても足りないって言われるかも」という不安

こうやってラベルの貼り方を変えると、「ダメなところ」から「ケアが必要なところ」に少しずつ変わっていく。

それでも、もちろん完治なんてしない

前提として:こういう話をすると、「じゃあ一回向き合えば治るんだね」みたいな雰囲気になりがちだけど、そんな便利な話ではない。

同じパターンは、普通に何度も出てくる。

  • また同じようなところでイラっとする
  • また同じタイプの先延ばしをやらかす
  • また肝心なところで本音を飲み込む

ただ、前と違うのは、そこにハマったときの「自分へのツッコミ」が、ほんの少し変わるところ。

前:
「ほらまただよ、成長してないな、お前。」

今:
「あーはいはい、またこのパターンね。で、今回は何が怖かったんだっけ?」

この差が小さいようで、けっこうデカい。

罪悪感は足を止めるけど、好奇心は少しだけ前に押してくれる。

自分の「bad」を知ると、人の「bad」にも優しくなる

人間関係の変化:自分の弱さやクセをちゃんと見始めると、他人のそれも少しだけ透けて見えるようになる。

イライラしている人を見ても、「あ、この人も何か守りたいものがあるのかもな」と思える瞬間が増える。

みんなそれぞれ、自分なりの「bad」を抱えて生きている。

  • 不安からくる行動
  • トラウマからくる反応
  • 生き延びるために身につけたクセ

どれも、パッと見は「めんどくさい性格」に見えたりするけど、その裏側にはけっこうちゃんと理由があることが多い。

「完璧な人同士だから続く関係」なんて、現実にはほぼなくて、お互いのガタガタした部分をどう扱うかで、関係の質が決まっていく感じがある。

弱さを見せるのは負け、と思ってたやつ

脳内の古いルール:「弱みを見せたらナメられる」「謝ったら負け」みたいな価値観って、日本だとけっこう根強い気がする。

PTAの空気とか、会社の会議室とか、LINEグループのやり取りとか、どこかで「強くいなきゃ」みたいな圧がじわじわある。

でも、ちゃんと謝ること、素直に「それは分からない」と言うこと、「助けて」が言えることって、本当はかなりの胆力がいる行動だと思う。

弱さを見せる瞬間って、たいてい静かな場所で、声も少し小さくなる。
弱さを見せる瞬間って、たいてい静かな場所で、声も少し小さくなる。

脆さ=橋という感覚:弱さを見せるのは、相手に向けて橋を一本かけるみたいな行為に近い。

その橋を渡ってきてくれるかどうかは、相手次第。でも、橋を出さない限り、距離は永遠に縮まらない。

防御モードから一回降りてみた日のこと

よくあるシチュエーション:自分の言動について、誰かから「それ、ちょっと傷ついた」と言われる瞬間ってある。

そのときの第一反応って、だいたいこんな感じになりがち。

  • 「そんなつもりじゃなかったんだけど」
  • 「誤解だよ、それ」
  • 「そっちの受け取り方の問題では?」

全部、防御。全部、「自分は悪くない」を守ろうとする反応。

そこで一度だけ、その防御をスッと下ろしてみることができた場面があるとする。

相手の話を途中でさえぎらずに最後まで聞いて、「そう受け取られたなら、それはごめん」と、自分のプライドをちょっと横に置いて言ってみる。

その場では、胸のあたりがモヤモヤするし、妙に疲れる。でも、あとから関係が少しだけ強くなることがある。

自分の「bad」とちゃんと向き合うって、こういう地味な瞬間の積み重ねなんだろうなと感じる。

「My bad」とは、戦争状態からの停戦協定みたいなもの

今の距離感:自分の中の「悪いところ」とは、もう殴り合いはしていない。

仲良しではないけど、お互い存在は認めてる、みたいな感じに近い。

「あ、また出てきたね。はいはい、そこが気になってるのね。」と、椅子を一個用意して座らせるイメージ。

嫌いな部分も、いったん椅子に座らせて話を聞いてみると、意外と静かだったりする。
嫌いな部分も、いったん椅子に座らせて話を聞いてみると、意外と静かだったりする。

短所の役割:短所って、致命傷というより、性格に陰影をつけてくる要素でもある。

  • 失敗から、しぶとさを学ぶ
  • 恥ずかしさから、謙虚さが育つ
  • 時間がかかる自分から、他人にも待つ余裕が生まれる

「いつか完璧になれるはず」と思っていた頃から、「たぶん一生、何かしらやらかし続けるんだろうな」と思えるようになると、目標が変わる。

ゴール:
「悪いところゼロ」→「悪いところと付き合いながら、少しずつマシな選択が増える」

同じ失敗をした日の、自分への問いかけ

やらかした直後:また余計な一言を言ってしまった日、またダラダラして時間を溶かした日。

そこでの選択肢は、ざっくり二つ。

  • 自分をボコボコに責めるルート
  • 「で、ここから何か拾える?」と聞いてみるルート

後者を選べる日ばかりじゃないけど、たまにでもそっちを選べると、ちょっとだけ前に進んだ気になる。

学びがはっきりしているときもあれば、「うーん、今回はよく分からん」となるときもある。

それでも、「分からないなりに観察してみる」って態度だけは、持っておく価値がある気がする。

「選んでない同居人」としての自分の悪さ

ルームメイト比喩:自分の「bad」は、勝手に一緒に住み始めた同居人みたいな存在に近い。

追い出そうとしても、なぜか鍵を持っていて、しれっと戻ってくる。

無視しても、冷蔵庫の中身とか、電気代とか、何かしら生活に影響してくる。

だったら、最低限の会話はした方が、まだマシかもしれない。

完璧な同居は無理でも、「まあこの程度なら一緒に暮らせるか」くらいにはできるかもしれない。
完璧な同居は無理でも、「まあこの程度なら一緒に暮らせるか」くらいにはできるかもしれない。

席を用意する感覚:自分会議みたいなときに、「悪い部分」にも一応発言権を渡してみる。

  • 「今それが怖いって言ってるんだね」
  • 「そこまで警戒しなくても大丈夫かもしれないよ」
  • 「でも、今回はちょっと別の選択も試してみようか」

支配させないけど、完全無視もしない。その中間くらいのポジションに置いておく。

たぶん、完璧じゃなくていいというより、完璧にはなれない前提で生きる

ここまで読んでくれた人へ:もし今、自分の「bad」を頭の中で一個ずつ思い出して、ちょっとしんどくなっていたら。

それはそれで、ちゃんと向き合おうとしてるサインでもあると思う。

直したいところ、消したい過去、見たくない性格。いろいろあると思うけど、もしかしたらそのどれもが、「まだ続きがあるよ」と教えてくれているのかもしれない。

消すより、理解する。否定するより、「なんでそうなってるか」を探る。

そのプロセス自体が、もうすでに成長の一部なんだろうな、と個人的には感じている。

今日は、なんとなく自分の「悪いところ」をひとつだけ選んで、「お前、最近どう?」って心の中で聞いてみるくらいでいいと思う。

そこで何が返ってくるか、少しだけ耳を澄ませてみてほしい。

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