掃除機、かけるの嫌い?…わかる。でも、ちょっと待って。
最近、ふと考えてたんだけど、掃除機をかけるのって、なんであんなに面倒なんだろうね。うん、わかる。あの音、重さ、コードの煩わしさ…。週末の貴重な時間を奪われる、ただの「やることリスト」の一つ。正直、僕もずっとそう思ってた。
でもね、ある時、これって見方を変えたら、ただの作業じゃなくなるんじゃないか…って思ったんだ。きっかけは、海外のブログで見た「マインドフルな掃除」みたいな考え方。最初は「またそういうスピリチュアル系のやつか…」って、ちょっと斜に構えてたんだけど。でも、読んでみると、意外と、いや、かなり面白くて。
要するに、掃除機をかけるっていう行為を、一種の「動く瞑想」みたいに捉え直すってこと。…うん、わかる、怪しいよね。でも、騙されたと思って一回やってみたら、これがなかなか…。心がザワザワしてるときとか、頭の中がごちゃごちゃしてるときに、すごく、いい。なんていうか、部屋のホコリと一緒に、頭の中のホコリも吸い取ってくれる感じ。今日はその話を、僕なりに、ちょっとだけ、してみようかなと思う。
で、具体的にどうやるの?
特別な道具とか、そういうのは何にもいらない。いつもの掃除機があれば、それでいい。大事なのは、ほんの少しだけ、意識の向け方を変えること。
まず、掃除機をかける前に、ちょっとだけ立ち止まってみる。…そう、ただ、その場に立つだけ。部屋の空気とか、窓から入ってくる光とか、遠くで聞こえる音とか。そういうのを、ただ感じる。今日の自分の体の感じ、ちょっと疲れてるなとか、肩が凝ってるなとか。それに気づくだけで、もうスタートライン。
それから、掃除機のハンドルを握る。その感触、冷たさ、重さ。スイッチを入れた瞬間の、あのモーターが唸る音。いつもは「うるさいな」で終わらせてた音を、ちょっとだけ、聞いてみる。低く響く一定のリズム。これを、自分の呼吸のガイドにするんだ。
知ってる? 呼吸と動きを合わせるのって、ヨガとかでも基本だよね。それと同じ。掃除機を前に押すときに息を吸って、引くときに吐く。…みたいな。別に厳密にやらなくてもいいんだけど。前に押すときに「新しい空気を取り込む」、引くときに「いらないものを手放す」って、心の中で思うだけでも、全然違う。
あとね、面白いのが「視覚化」を取り入れること。床に落ちてるホコリや髪の毛が、自分の心の中のストレスや不安、自己嫌悪の塊だと想像してみる。それを掃除機が「ゴォーッ」て吸い込んでくれる。カーペットのシミは、ずっと許せなかった誰かへのわだかまり。隅っこのホコリは、なかなか捨てられない過去の後悔。それを、一つ一つ、吸い取っていく。
そうやってると、掃除機をかけるっていう単純作業が、だんだん、なんていうか…儀式みたいに感じられてくる。部屋がきれいになるのと同時に、自分の心もスッキリしていくのが、わかるんだよね。マジで。
これって、日本の考え方とどう違うんだろう?
ここで、ふと思ったんだ。こういう「マインドフルネス」って、最近よく聞くけど、もともと日本には「禅の作務(さむ)」とか「大掃除」みたいな文化があるじゃない? 掃除を通して心を整えるっていう考え方。あれと、この欧米式のマインドフルネスって、似てるようで、実は結構違うんじゃないかなって。
ちょっと、僕なりに整理してみたんだけど。
| 比較ポイント | 欧米式の「マインドフルな掃除」 | 日本の「作務」的な考え方 |
|---|---|---|
| 目的・ゴール | うーん、「自分の心の平穏」とか「セルフケア」かな。あくまで自分のための時間って感じが強い。 | こっちは、「無心」になること自体が目的というか…。行為に没頭して、自我を忘れる、みたいな。もっとストイック。 |
| 感情の扱い方 | ネガティブな感情を「可視化」して、それを「手放す」っていう、結構積極的なアプローチ。 | 感情は、ただ「そこにあるもの」として観察するだけ。良いも悪いもなく、ただ淡々と作業を続ける。 |
| 行為の意味付け | 「これは私の心を癒すセラピーだ」みたいに、意味を『付け加える』感じ。ポジティブなストーリーを作る。 | 逆に、意味とか解釈を『取り払う』ことを目指す。「ただ、掃除するのみ」っていう。かっこいいけど、難しいよね。 |
| 終わった後の感覚 | 「スッキリした!」「リフレッシュできた!」っていう達成感とか、ポジティブな感覚を重視するかな。 | 終わった後も、特に高揚感とかはなく、ただ「やるべきことをやった」という静かな感覚。平常心、みたいな。 |
こうやって見ると、面白いよね。どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、アプローチが全然違う。海外の、例えばアメリカの心理学とかをベースにしてる考え方は、やっぱり「自己肯定感」とか「個人の幸福」に繋がってる。一方で、禅の作務は、もっと「自己を超越する」というか、自分という存在を小さくしていく方向。これは、日本に古くからある考え方だよね。
だから、もしあなたが「なんだか気分が落ち込んでるな…自分を元気づけたいな」って思うなら、欧米式の「意味付け」をする掃除がいいかもしれない。逆に、「頭の中がごちゃごちゃして、もう何も考えたくない!」ってときは、ただ無心で手を動かす作務的なアプローチが合うのかも。
でも、うまくいかない時もあるよね
…と、ここまで偉そうに語ってきたけど、正直、いつもこんなに上手くいくわけじゃない。はっきり言って。疲れてるときは、ただただ面倒くさいし。子供が走り回ってたり、急いでたりするときに「さあ、マインドフルネスだ…」なんて、無理。絶対に無理。
そういうときは、もう諦める。普通に、ガーッと、一番効率的な方法で終わらせる。それでいいと思うんだ。このマインドフルな掃除って、義務じゃないから。「やらなきゃ」って思った瞬間に、それはもうマインドフルじゃなくて、新しいストレスになる。
だから、気が向いたとき、ちょっと心に余裕があるとき。「あ、今日なら、やれるかも」って思った日曜の朝とかに、試してみるくらいが、ちょうどいい。それで、もし上手くいかなくても、「まあ、そんな日もあるか」で終わり。そのくらいの、ゆるさが大事なんだと思う。完璧を目指さないこと。…掃除なのにね、面白いけど。
まとめ、というか…最後にちょっとだけ
結局のところ、掃除機をかけるっていう、ありふれた日常の一コマも、自分の心の持ちようで、退屈な義務にも、心を整える時間にもなり得るってことなんだろうな、と。
もし、この記事を読んで、ほんの少しでも「次、掃除機かけるとき、ちょっとだけ意識してみようかな」って思ってくれたら、嬉しい。まあ、無理せず、自分のペースで。
それで、あなたはどうかな?
あなたが一番「嫌いだけど、やらなきゃいけない家事」って何ですか? もしそれを、ちょっと違う視点で捉え直すとしたら、どんな風にできると思いますか? よかったら、下で教えてください。
